見出し画像

未来は、自分を信じる先にあった

想像していなかった未来

若い頃から、私はマイペースで、嘘が嫌いでした。一度好きになったことには驚くほど集中する性格。そのせいで初対面では「変わってるね」と言われることが多く、孤立感を覚えることもありました。こだわりが強い分、生きづらさを感じることも多く、人生は決して順風満帆ではありませんでした。

絶望の中で

二十代後半、私は人生で最も暗い時期を迎えました。
まるで底の見えない沼に沈んでいくような日々。ただ、ここから抜け出したい、明日なんて来なければいい……そんな絶望感に囚われていました。それでも、死のうと思うたびに浮かぶのは、男手ひとつで私を育ててくれた父の悲しむ顔。思い出しては泣き崩れ、行動に移すことができませんでした。

苦しみが頂点に達したとき、ふと「もう何も求めない」と思いました。夢も理想も仕事も恋人もいらない。ただ、「生きている」という事実そのものを喜びに変えようと決めたのです。
生まれたばかりの赤ん坊のように、何も持たなくても満たされていた頃の自分に戻りたいと思ったのです。

それは、それまで積み上げてきた「こうあらねばならない」「こうなりたい」という信念や、他人が作った価値観をすべて削ぎ落とすことでもありました。

占いが示した未来

そんな時期、偶然の流行で占い師に見てもらう機会がありました。彼らの多くは口を揃えてこう言いました。「あなたは一生食べるに困らない」「金運に恵まれている」「好きなことだけで生きていける」「大器晩成だ」と。

最初は信じられませんでした。「今はお金に困っているし、特技も資格もない。そんな未来が自分に訪れるはずがない」と、内心反発していたほどです。

ところが、数年後――人生が少しずつ変わり始めます。

運命の出会い

今の夫との出会いは、まさに運命としか言いようのないものでした。
これまでにも声をかけてくれる人はいましたが、私にとって「理解し合えること」が何より大切でした。そんなこだわりが、夫との出会いで報われることになります。

彼との最初の会話は今でも覚えています。当時の私は仕事に悩み、行き詰まりを感じていました。そんな私に彼は一言、「それ、わかるよ」と言いました。その短い言葉に救われた私は、「この人は私を本当に理解してくれる人だ」と確信しました。それから、私たちは助け合い、支え合う日々を送るようになったのです。

もちろん、困難もありました。夫が退職し、無収入の時期もありました。その中で生活を守るために努力するのは、私自身の役割でもありました。それでも、彼の誠実さと探究心が私の信頼を支え、私たちは共に乗り越えてきました。

積み重ねた歩み

占い師に言われた未来が実現するなんて思っていませんでしたし、「運が良ければ上手くいく」という楽観主義に頼るつもりもありませんでした。目の前の選択を一つひとつ丁寧に積み重ねること、それが私の信条でした。損得ではなく、自分が心から納得できるか、楽しめるかを基準に動く――それが私にとっての「幸せへの歩み」だったのです。

役者という不安定な仕事を続けながら、非正規雇用で生活を支えました。自分の選択が間違いだったのではないかと悩むこともありましたが、どんな経験も、今の私を形作る大切なピースだったと実感しています。

現在、夫は独立し企業を立ち上げ、私はその仕事を支えながら、自分の好きなこと――芸術や人間研究を続けています。生活のために働くことと、自分の喜びを追求することが、無理なく両立できるようになりました。

訪れた未来

気づけば、占いで言われた通りの未来が訪れていました。「好きなことだけで生きていける」「人に恵まれ、一生食べるに困らない」という言葉。その時は信じられなかった未来が、今は現実です。

もちろん、それは私が一つひとつの選択を慎重に、丁寧に積み重ねてきた結果です。占い師が見抜いた「未来」とは、私の中にずっと眠っていた可能性の種だったのかもしれません。それに気づき、信じ、行動し続けたからこそ、今の私がいます。

また、この地球の目には見えない力、もしくは私自身の中にずっとあった小さな灯火。それに気づき、それを信じたからこそ、今があるのだと感じています。

あの頃、絶望の中で想像することすらできなかった未来。今、私はその未来を生きています。この不思議な人生を振り返ると、ただひとつ確信できることがあります。それは、「自分を信じて、前を向き続ければ、きっと道は開ける」ということです。

いいなと思ったら応援しよう!