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ひろさちや氏は幸せな人だと思っちゃった

ilsa さんの投稿を見て、

中古本を買って読んだ。46円と送料で買えた。
ひろさちや氏、なじみあるし。

ひろさちや氏のように、子供や孫がいる人は、


どんな葬式でもどんな墓でもどんな相続でも自分が育てた子供や孫のやることだから任せましょう。

でも子供がいないと、


遺産相続には配偶者に加え兄弟や甥姪が出てくるのです。
子供のいない夫婦の場合、どちらが先に死ぬのかで、兄弟や甥姪の配分に差が出てしまいます。
お金にこだわらないで、それも運だし。と思って。う~ん。
上手く円満に、どちらが先に死んでも良い案を考えたくなっちゃう。


「ひろさちや氏は好きなようにやってもらって大丈夫な家族を持って幸せな人だな」って。

私は感じました。

終活については、後日、機会があれば書きますね。


お墓について、ひろさちや氏は要らないと言う。


私は、「浄土真宗のほぼ信徒」なので
死んだとたん、阿弥陀様がお浄土へ連れて行ってくださる。
お墓になんか亡くなった人はいない。
追善供養は必要ない。
同感です。

私は。お墓はあっても良いと思います。

両親はそれぞれ出身地に後継ぎがいたので、東京でお墓を求めました。
父親の宗派の浄土真宗で。生前に墓石も建立しました。
今は亡くなっていますが、そのお寺の住職さんが素晴らしかった。

墓石正面には「南無阿弥陀仏」が良い。

○○家の墓にしないというお寺からの勧め。
娘二人の名字が違うこともあったでしょう。
まず、娘が継ぐことに一切問題はない、と。
後継ぎがいそうな他家も、その寺の墓石は9割「南無阿弥陀仏」でした。

墓に親が入った後、

墓石に水をかけないでも良い。

お浄土では喉は渇いていないと、住職談。
そうですよね。きれいにするためにかけています。でも、
お寺が日頃なんとなく、きれいにしてくださっているのも感じます。
花入れが洗って伏せてあります。(夫の両親の墓は・・・)

追善供養はない。

もともと、浄土真宗のお寺には蘇東坡はありません。


名字は違うが、一応後継ぎは姉です。
私たちの親は70歳、73歳で亡くなっているので
姉の義父母も、この寺に、法要に来てくれていました。
姉を要に親戚付き合いがありました。

姉の義父母も一緒の墓に入りました。

この墓にお参りする人が増えました。

お浄土への通信基地

両親はもともと、お墓参りにこだわらない人でした。
余計安心して、自分の都合や天候や※の都合でお参りしています。
抜かしてしまった年もありました。
「忙しいのに来ないで良いよ」と母が言ってくれています。
生きていた時、娘の私へのよく言っていた言葉でした。

※ 母はコスモスが好きでした。命日の8月上旬にコスモスはありません。
しっかり書いてあるので、遺言みたい。書き言葉は消えません。

自宅からでも良いのでしょうが、通信基地としてお墓に行きます。
ついでに、麻布十番で買い物をするのも楽しみなので。


「終活なんておやめなさい」の後半部分
そうだ、そうだと感じる所がたくさんありました。そのひとつ。

一合一会の生前葬

P199 
なにも芸能人のように、派手に生前葬をする必要はありません。
大切な人と大切な時間を過ごすのだ、という気持ちがあったら、それがそのまま生前葬になる。

なるほど、上手いことを言う!!

1300字です。ではまた。


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