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社協の研修から、東十条へ、自転車で行ってみた。堀之内、江北を通って千住へ戻る。

朝から、社会福祉協議会の研修があった。
介護保険外サービスについて、
虐待が疑われる場合の対応について、
認定調査の書き方について、
認定にかかる期間について、等々。

自費ヘルパーの仕事は、研修のため開始時間を遅らせていただいている。
四分の一くらい、東十条よりの位置へ自転車で行っており、北千住に戻って電車で行くと倍の時間がかかる。

自転車でいく

荒川と隅田川をわたって行き、隅田川と荒川を渡ってもどる

足立区と京浜東北線の東側までは、平らで坂はない。あるのは川と橋だ。
足立区と北区、足立区と荒川区の間には、2本の川がある。

千住から東十条へは、荒川区を経由するルートもある。荒川の南側を行くので隅田川を渡るだけだ。熊野前に出て都電ルートで王子を経由する。

今日は荒川の北側を出発するので荒川と隅田川を渡る。

荒川を渡る

江北橋で荒川を西へわたる。車道は通れず、歩行者が通る道を押して上がる。これがキツイ。
河川敷が広い。荒川を渡る時の定番、スカイツリーが見える。

渡り始め
左前方を見る
右側(上流側)を見る

隅田川を渡る

江北橋を下りたら斜め右へ。豊島橋で隅田川を渡る。

左前方を見る
右前方を見る

紀州通りを西へ。王子行のバスが走っている。紀州神社がある。

鎌倉時代後期、紀州熊野から来た鈴木重尚が豊島氏とはかり、 五十太郎神社を王子村に勧請したのがはじまりです。

地元の人々から「紀州さま」と呼ばれ、親しまれています。

言い伝えによると、現在の場所に移ったのは天正年間に豊島村と王子村との水争いが原因で、 豊島村の甚兵衛さんら村人によって、ご神体が豊島村の宮前(今の豊島6丁目)に移されたのですが、 王子村に近かったため「取り返されてはいけない」と、 村のはずれの同じく宮前(今の王子5丁目)と呼ばれていた場所へ移されました。 ところが村はずれの寂しい場所に移されてしまった紀州さまは、 村人の夢枕に立って「もっと賑やかなところへ行きたい」と告げました。 何人もの村人が同じ夢を見たので、相談して現在の豊島七丁目へ移されたのだそうです。

北区観光ホームページ

王子神谷を通過し、東十条一丁目で右折。利用者宅へ。

自費ヘルパー

通常時間より1時間半遅れ。主に調理。仕事終了。

帰りは環七で足立区鹿浜へ渡り、荒川北岸の道を通って千住を目指します。


隅田川を渡る。

まず「新神谷橋」で隅田川を渡ります。川のある景色って決まります。

荒川を渡る。

荒川を鹿浜橋でわたる。環七を北東へ。
鹿浜橋も押して上がった。右を見ると自転車に乗ったまま土手に上がる道がある。今度来る機会があったら、、、

渡り始め。河川敷が広いです。
左側の景色

下りる道は自転車に乗ったままでOKだった。

川沿いに戻る。江北公園のイチョウ。

「銀杏散る」「銀杏黄葉」「銀杏落葉」季語ピッタリ

江北五色桜の再生

江北の荒川土手道は、江北五色桜再生を目指している。土手上に植えられた八重桜はまだ幼いが、年々育っている。歩道の桜も八重桜です。

堀之内氷川神社・不動院

長い参道


氷川神社 山王神社と併記してある
本殿の左右にも保存樹木がある

🌸堀之内氷川神社🌸
地域の方から「堀之内氷川様」と呼び親しまれている堀之内氷川神社は、古くからかつての堀之内村の鎮守でした。
須佐之男命(スサノオノミコト)を祭神とし、氷川・山王二神を合祀しています。昭和53年には、首都高建設の影響で諏訪神社も合祀されました。
社殿の裏手の小さな稲荷神社はレンガで作られた祠で、かつて足立区でレンガ産業が盛んだったことが偲ばれます。
ひっそりと地域を見守る堀之内氷川神社は、四季が楽しめる桜や欅もあり、お散歩にもおすすめです。(2022年11月)

江北地域学習センター
本殿右側にある。

不動院

当寺の開山は、伝説として古老の言い伝える所によれば、行基菩薩が東北地方巡行のおり、当地に至り、民家に一泊したおりに氷川神、山王神が夢枕に立って、「この地は聖地なれば、吾らを祭れば村人の為に招福除災とならん」と霊夢を受け、村民一同に話し、ニ神合祀して一宇を建立し、よって覚王山不動院二宮寺と号す。(足立区仏教会資料より)

「享保」の年号が読める
六地蔵

大江戸でお土産購入

お店の裏に工場があり、焼き印体験ができる

定番の「きんつば」ではなく、葛アイスバーを2本買った。少しなのは、夫が糖尿病予備軍のため。

西新井橋で荒川を南へ渡る

西新井橋とスカイツリー

いずみ記念病院向かい側の坂で西新井橋へ上る

夕日の少し前、雲を淡く染めている。

かすかに富士山が見える。

1860字
仕事を二つくっつけて、小さな旅(?)をしてきました。

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