「時間があったらやろう」は「時間があってもやらない」説
働き盛りの子育て世代。
子供の成長に合わせて
働く時間を伸ばし、
ついにフルタイム、ときに残業も
するようにまでなりました。
「忙しい」ただその一言に尽きるのが
正直なところである。
そんなこの上ない
万能でちょうどいい言い訳の
「あぁ…忙しい…」
「時間があったらやろう…」
と、心にある言葉。
薄々、勘づいてきたことがある。
それは
ポッとふいにまとまった時間が
できたとしても、
時間があったらやろう、に
分類されていた項目は
億劫なものは得に
優先順位から降格して
結局やらない、やれないのです…。
いつまでもいつまでも
先延ばし。
その中には本当にやらなければ
いけない項目まで紛れてしまう。
「やりたいことをやれる自分」
理想の「なりたい自分になる」ためには
「忙しい、時間がない」
これを言い訳にしない、と
ココロに決めている。
(が、結局使っているけど😇←)
どんなに忙しくても
「時間は作るもの」
そう心得ている。
やりたいコトだったら
時間を作る気になるけど
気の進まないコトだと
時間を作る気にならないのが厄介。
気の進まないその事柄は、
なぜ気分が乗らないのか。
掘り下げて自分に問うてみるのが
大事とおもう。
例えば
掃除がめんどくさい、なら
なんで掃除がめんどくさい、のか
具体的に考えてみる。
掃除をするまでの流れを考えると
掃除道具を出すのが面倒、
物をどかすのが面倒、
とか、
いろいろ出てくるわけで。
それならば、
気づいたときに
すぐに取り出せる場所に
掃除道具を置く、とか、
物をどかさずに済む配置にする、とか
気分が上がる道具にする、とか
ちいさな対策が思い浮かんでくる。
億劫な理由を発見して
ウキウキする方法、
楽をする方法を導けたら
そのハードルはグンと下がり
すぐに取り掛かることが
できるかもしれない。
気合いを思い切りいれて、
さぁやるぞ!!
と、そんな気分になるのは
いつの日やら。。
そしてその気分になれたとしても
一時的なもので
持続性がなかったり…。
そんな自分が内側にいるのも
すでにお見通しなので
わたしはちいさく噛み砕いて
挑むこととしよう。
やってやれないことはない。
さぁ、さぁ、
自分と向き合い
ちいさく、ちいさく
一歩を踏み出して
新しい自分に出会いましょう。
きっとできる、必ずできる。
ご一緒に、いかがですか。
きょうもよくがんばったよね、
あしたも心地よく生きよう。