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【落ち穂】連載「女性活躍」

うっかり幼児虐待の漫画を読んでしまった。Xに広告で流れてきたのだ。描かれるシーンは嫌な気持ちになるものばかりで、実在する現実だと思うと吐き気がした。見るんじゃなかったと思い、見ない選択ができる自分に罪悪感を抱く。そんな負のループを繰り返した後ふと、虐待を踏みとどまった多くの親がいることを思った。

親になって知ったが、育児をしていると気が狂いそうになる瞬間が多々ある。普通なら考えつかないような被害妄想に陥ることだってある。だけど多くの養育者は泣いたり狂いそうになりながら、それでも踏みとどまってきたのだ。わたしの母も、かなり短気な性格なのに育児に関しては気長だった(一度すごい形相で我慢しているのを見たことがある)。自分が親にされて嫌だったことは絶対にしない人でもあった。これは凄いことなんじゃないか。そもそも母親に課せられる「当たり前」レベルはかなり高い。24時間労働で当たり前レベルが高くて責任重大で人員不足。これが仕事なら超ブラックだ。

採用インタビューで時々、こんな声を聞く。「この人がいたから辞めなかった」。男女で分けるのはよくないかもしれないが、「この人がいたから」と挙げられるのはわたしが取材する限り女性が多い。そしてなにより、母親という存在が多くの人にとって「この人がいたから」代表だろう。 

「女性活躍」という言葉を聞くたびに、女性はもうずっと前から活躍しているのにと思う。人の話を聞く、変化に気付いて声をかける、自分の子どもに精一杯やさしくする、家族に毎日ごはんを作る。どれもこれも大変なのに、時に犠牲と呼ばれても「活躍」という名前がつくことは少ない。

女性活躍に必要なのは、場やポジションを作ることではなく、すでにある活躍に気付き、適切に評価することじゃないだろうか。

そう思うと、日々人に取材をして回るわたしのような仕事はそろそろ、成功者ではなくその親や友人にインタビューするべきなのかもしれない。素晴らしい人に限って「わたしは何もしていませんよ」と言いそうではあるけれど。

※この記事は、琉球新報にて連載中の「落ち穂」に寄稿したものです。紙面掲載が完了しているものを許可をもらって転載しております。(改行など一部変更あり)

余談

実はここに書いたことは半年前くらいから考えていたことなのだけど、引き寄せの法則とは本当にあるらしく、思ってから半年間でわたしに舞い込んでくるお仕事はガラリと変わりました。つまり最後に書いた「成功者以外のインタビュー」のお仕事がたくさん舞い込んできているのです。自発的に作ったものもありますが。(⇩母親インタビュー)

そしてやはり、そういう方々はあんまり語らない。語らない人からお話を引き出す経験が乏しいため、今のわたしの試練のひとつではありますが、とても有意義なことをやらせていただいてる実感だけはあります。実力はいつ伴うのやら…。

いろんなお話を聞くうちに思ったのは、「普通」の人なんていないということ。普通なんて幻想だということです。人々の頭の中だけに存在する架空の「普通」から「あなた」を掘り起こすような、そんな仕事がしたいです。そんな仕事をするにふさわしい人間になりたいです。

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