息子の好きなもの
先日、ハロウィンイベントに参加したときのこと。
キッズメイクが無料だったので、2歳の息子と並ぶことにした。10種類の見本を見せると、息子は迷わずハートを選んだ。ちょっと意外だったので、思わず「かぼちゃとかおばけもかっこいいよ~」と提案するも、「ハートがいいの!」とブレない。もう2度ほど聞いてみるも意思は固かった。
ふと、息子は以前からハートが好きだったかもしれないと思う。
そういえばこれまでも、出先でハートを見つけるたびに「ハートだよ」と嬉しそうにしていたではないか。ハートは女の子のものだという自分の偏見に気づき、そういえばわたしは女だけど、昔からハートもピンクも好きじゃなかったなと思った。今度、息子にとびきりかわいいハートの洋服を買ってあげようと誓った。
別のある日、息子が前から持っている恐竜の服を嫌がった。「こわい」と言う。「こわい」は最近獅子舞で覚えた言葉だ。そういえば、こわいと言う前から恐竜の服をたびたび嫌がっていた気がする。実はずっと苦手だったのかもしれない。ふり返ると、洋服を買うとき「息子が好きそう」と思って手に取るのはスイカ柄くらいで、それ以外は恐竜や青色など「男の子っぽいもの」をなにも考えず買っていた。息子の好きを一緒に探すべきだったと反省する。すぐに恐竜の服を脱がせ、目についた中で一番かわいらしい洋服を差し出すと、今度は「車がいいのー」とぷりぷりしている。今度は無意識に「男の子っぽいもの」を避けてしまったようだ。ああ、なにやってるんだ、わたし。息子はただ、ハートと車が好きで、恐竜と獅子舞がこわいだけなのに。偏見のなにが悪いか、ここにきてやっと分かった。偏見は”その人自身”を見る目を曇らせる。男女関係なく、息子には息子の、ひとつひとつの好みがあるだけなのだ。
37年間でこびりついた偏見を取り除くには時間がかかりそうだけど、こうやってしくじりながら、少しずつ取り除いていくしかない。そしてまっすぐ育つ息子を、できる限りまっすぐに見つめたいと思った。