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母の楽しみ
幼少期の記憶がほとんどなく、家族で出かけた記憶はほぼ皆無だった。が、ひとつだけしっかりと記憶していることがある。大阪まで吉本新喜劇を見に行ったことだ。正直にいうと新喜劇は退屈だった。内容がというよりも、じっと座って何かを見る楽しさに目覚めていなかったのだ。弟とふたりで館内をウロウロしながら、母がひとり楽しそうに笑っている様子を不思議に思った。それが家族で出かけた唯一の記憶である。
それから30年くらいが経ち、最近になって母が小さい頃に水族館や遊園地など、いろんな場所に連れて行ってくれていたことを知った。シングルマザーだったし、あらゆる都合で出かけられなかったとばかり思っていたので、軽く衝撃を受けた。「覚えてないん?」と聞かれ、正直に「覚えてない」と言うと、母は「なんやぁ」と寂しそうだった。きっと無理もしたのだろう。それなのにわたしが覚えていたのは、自分たちではなく母ひとりが楽しんだ新喜劇のみ。どうしてその記憶だけが、と不思議に思ったが、はっとした。わたしはあの日、きっと初めて知ったのだ。母には母の楽しみがあることを。そんな当たり前の事実にそれまで気付かないほど、母はわたしたちを優先してきたのだろう。だから印象に残ったのだと思った。
自分が母親になって気付いたことがある。子どもの幸せはイコール親の幸せではあるけれど、それだけではないし、それだけではいけない。大人がちゃんと、大人なりに幸せに暮らしている背中を見せないといけない。そう思うと、あの日わたしたちが飽きた後も、席を立たずにいてくれてよかった。母が自分を楽しませる時間を諦めずにいてくれてよかった。
もうひとつ母から聞いて驚いた話がある。幼少期、わたしは弟と結託して保育園を脱走したことがあるらしい。迷惑すぎる。新喜劇以降は、そんな迷惑行為が減っていればいいなと思うが、おそらく減っていない。どうかその都度、母が自分なりに自分を癒やしていますようにとひっそり願ってしまうわたしは、今もどこか母に甘えている。
※この記事は、琉球新報にて連載中の「落ち穂」に寄稿したものです。紙面掲載が完了しているものを許可をもらって転載しております。(改行など一部変更あり)