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家事の共働き

ついに母が、父にごはんを作ることをやめたらしい。1ヶ月が経つそうだ。それを聞いた瞬間、「やっとか」という安堵と「てか父が作れよ」という苛立ちの両方を感じた。父はもう何年も仕事をしていないのだ。

父(正確には継父)はもともと力仕事をしており、ここ数年は仕事自体がなくなったのか体力的にきついのか、働いていない。冬にしか帰省しないのでなんとも言えないが、少なくともわたしが見る父はここ数年ずっとコタツでゴロゴロしている。母はというと、朝早くに起きて洗濯をし、洗濯物を干して朝ごはんを作り、7時に家を出る。そして日中は介護施設で働き、16時に退社。その後家に帰って洗濯物を取り込み、たたみ、動物たちに餌をやり、犬の散歩をし、山積みになった1日分の皿を洗い、18時から23時までコンビニで働いている。これまでは、この仕事と仕事の合間にごはんを作っていたようだ。

わたしはずっと、この件について父に文句を言いたかった。なぜ働かないならせめて、ごはんを作ったり、洗濯をしないのか。ほんで自分が使った皿くらい洗えよ。母が朝からバタバタと動き回っている姿を見てなにも思わないのか。だけど答えはわかっている。男が家事なんかできるか、などとほざくだろう(その台詞を聞きたくないために母は父を責めないのかもしれない)。こんな家庭はいくらでもあるかもしれないが、性別を取り払って考えたらシンプルに不公平である。

共に働く、と書いて「共働き」と読む。我が家はずっと共働きだった。だけど家事は母がひとりで担ってきた。育児もほとんどそうだ。どうして「仕事の共働き」は進むのに、「家事の共働き」は進まないのか。果たして「平等な共働き」が実現できている家庭は、いったいどれくらいあるだろう。

母が父に食事を作らなくなったのは、そんな不平等に対するちいさな抗議に見えて少しホッとしたが、母いわく、父の母親(母にとって義母)からはドン引きされているそうで、そのことを少し気にしているようだった。

「まぁわたしも自分の息子が、嫁にごはん作ってもらってないって聞いたら嫌やもんなぁ」と言う。その感覚を捨ててしまえよと思った。だけど考えてみれば、わたしも将来息子が結婚するとなると「おいしいごはんを作ってくれる相手ならいいな」と期待してしまう気がする。そんな感覚は今のうちに捨ててしまいたい。もし捨てきれなかったとしても、「おかん、その考え方は古いよ」と抗議する男に育って欲しいと思う。


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