ずっと死にたかった人生から、笑って生きるまでに歩んだ道
死にたい。
もう人生を終わりにしたい。
でも、お葬式とかで誰かに迷惑かけるのも申し訳ない。
だから
消えてなくなりたい。
私という存在がなかった世界にしてほしい。
誰も私を知らない。誰も覚えていない。存在していない世界。
そう思いながら起きる朝。
そう思いながら行く学校。
そう思いながら祝われる誕生日。
そう思いながら考える進路。
しんどいよな。
だって死にたいんだもんな。
もう人生終わりにしたいのにな。
息する以上のこと、できないよな。
私もそうだった。
ずっと死にたかった。
いつから思ってたかわからないけれど、小学2年生の頃には思ってた。それから多分、高校2年くらいまでは思ってたはず。
原因は親の暴力、教育虐待的なそれが大きかった。
幼い頃の愛着の問題は、後々に大きな影響を及ぼすことが多い。家庭の問題はやがて社会生活にも影響を与える。
自分を傷つける外敵が近寄らないよう、常に高圧的な態度をとって人を寄せ付けないようにしていたかと思えば、こいつには敵わんと思ったらヘラヘラして傘下に入る。
嫌なこと言われてもにこにこして、家に帰って1人で泣く。耐えられない気持ちを家で爆発させると、それはそれで家族が困って、問題児みたいに扱われる。その視線の中で生きる。
だから小学生の頃はずーーっとテレビを見ていた。
家に帰って、16時から23時位まで永遠と同じドラマを見返す。ただひたすらに時間が過ぎるのを待つ。脳死を起こす。見てないと「死にたい」が頭を反芻し続けるから。自分が愛されていない現実に直面し続けなければならないから。
まぁ、この辺の理由を当時はわかってなかったけどね。これもあくまで今の私の解釈だけど。でも、現実見ずにはいられなかった。自分で止めることができなかった。
小5〜中3まではリストカットしていた。
最初は腕とか手首の見えるところに。だんだん太ももとか見えないところで自分のためにしてた。
落ち着くよな、リストカット。
ヘルプに気づいて欲しくてリスカしてるって意見あるけど、一定そうだと思うけど、そればっかじゃないよな。これも止められなかった。
あとはまぁ、アリの巣に花火突っ込んで暴れて死んでいくアリを見ていたり、家の壁壊しまくってみたり、色々したよ。
あぁ、自分は本当に冷酷な人間なんだと思った。
自分の暴力性に傷つきもした。こんな人間生きてちゃいけないとも本気で思った。自分の暴力性が暴れ出すのが怖くて、人と関わることも嫌だった。
でも、そんな私が、今結構楽しく生きているんだよ。
自分がやりたいと思っていた、演劇とかミュージカルの活動ができたし、公教育のために、2年間楽しく仕事ができた。
その上、会社を辞めてからすぐに演劇に関する仕事をさせてもらえて、今や企業に演劇を導入する会社の社長にまでなれた。
色んな人に、いいなと言ってもらえてたりする。
演劇で仕事ができるなんて羨ましい、と言ってくれたりする。
と、言いつつ、これはみんなが納得感を持って読めるために書いてるだけで、別にこんな肩書きなくてもマインドはそんなに変わらない。
外堀はどうであっても、大人っていいなって、心から思えているんだよ。
日々ポンコツだなって思うんだよ?
思い通りにいかないと悲しくなっちゃうし、自分がしてほしいことの主張はなかなかできないし、怠け者だし。でも、それも自分って思えたり、その中からどう進もうか考えたりできてる。
生きてて楽しいって思うし、こう思えるまで来れてよかったなって思う。
そんな私の人生を振り返った時に、自分なりに色々やってきたことを発見した。その都度必要な人に出逢いながら、自分の人生を取り戻してきたなって思う。
これを、当時の私に伝えたくて。
将来と自分に絶望している私に、全力で「大丈夫だぞ〜〜」って言いたくて。当時の私が少しでも楽になったらいいなって思って。
大丈夫だから。あんたは生きてていいんだよ。
そう言えるまでに進んできた道を、少しだけどシェア。あなたの何かの力になれば。
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