私の母は、本当はどんな人だったんだろう…なんてことを考えたりしております
9月7日
朝5時半。
デッキでは、すでにたくさんの人がウォーキングしている。いかにもスポーツ好きな人だけじゃなくて、ゆっくりゆっくり歩く高齢のご夫婦や、杖をついた方も。
みなさん、何を考えてるんだろう、どんな人生を送ってきたんだろうと、歩きもせずにボンヤリ眺めておる私です。
宮迫千鶴「ハイブリッドな子どもたち」を、船内本棚から借りて読む。
大好物の家族論&女性論かしらと思いましてね。確かにそういう内容だったけど、そういえば彼女はなんだか難しい文章を書く人だったのを、ページをめくって思い出しました。
『私たちにとって家族というものは、どこまでも運命的なものをはらんだ場であり、家族論はその運命的な部分を排除しなければ成立しないところがある。(中略)家族から運命的な部分を排除した時に残余として見えてくるもの、それは制度である。すなわち家族論は論であろうとする時、ついに制度論でしかない。』
……うむむむ。
言いたいことは、わかる…気がする。
しかしね。私の今のふやけた脳みそでついていくのは、なかなか骨が折れましたよ。
ひーこら気分で読み終えて、自分のことで新たな発見があった。
10代の終わりから両親を見送った頃まで、いつもずーっと心の中にあって、答えを探し求めていた「家族のあり方」や「女として生きていくこと」「母とは?母性とは?」みたいなことについて、今の私はもう答えを欲しがっていないのだった。あーびっくり。
私は専業主婦だった母から、仕事を持って経済的に自立しろと言われて育った。そしてその通りに仕事を持った。なのに私が出産すると、母は仕事と育児の両立にあたふたする私にちょいちょい批判的な言葉を浴びせるようになったのだ。海外出張の時などは実家に子どもを預けたが、「あんたは子どもをまるで荷物みたいにポンと置いていく」「(子どもが)かわいそうに」と、何度言われたことか。
「かわいそう」だとは思うのだ。だけど仕事を辞めたら、私は自分が自分でなくなってしまうような気がしていた。
100%お母さんとして生きることができない自分に、いつも罪悪感を抱いていた。そのモヤモヤする気持ちに寄り添おうとしてくれず、罪悪感を増幅させるような言葉を投げてくる母のことが好きになれなかった。
本の中に、ちょっと似たケースが紹介されていた。女も自分の考えを持って主体的に生きろと言っていた母親が、娘が仕事を持って充実した日々を送り出すと、仕事を辞めて結婚する生き方を求め始めたのだという。
『母親は本当の意味で〈自分の考え〉を生きたことがないからである。〈自分の考え〉を持つ女性に憧れることと、それを実際に生きることは違うのだ。娘が自分の知らない世界に踏み出そうとした時、母親は子離れできなかったのではないか。(中略)さらに言えば、母親の中に〈自分の考え〉をのびのびと生きようとする娘に対する奇妙な嫉妬がなかったろうか。自分は単に憧れただけの人生を、娘は手に入れるかもしれないという奇妙な嫉妬。母親が娘を〈一般的な女らしい生き方〉に引き戻そうとしたのは、そうすることで自分の人生を納得したかったのではないか』
私の母はどうだったんだろう。
今、オンナの生き方についての答えなんかいらねーわ、と妙にサッパリした心持ちになっているのだけれど、こういうことを話してみたかったなと、母が亡くなって初めて思った。
子育てに必死だった時期は、どうせわかってもらえないと思って踏み込んだ話をしないようにしていた。子育てを卒業する頃には母が精神的に弱くなり、一切をこちらに依存してくるので込み入った話なんかできなかった。
子どもの頃、あれほど絶対的で強くて頼りになって面白くて楽しくて、私の世界の全てを支配していた母という人は、本当はどんな人だったのだろうか。
アフリカ大陸東の沖、大洋のど真ん中で、母が懐かしくて少しだけ泣いたのだった。
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