なにが怖くて眠れない夜
疲れて糸が切れたように眠る日々に、珍しく、目が冴えて明日が不安ばかりになった。明日はこれをしてあれをして、終わったらここに行って、夜は予定ないよね?家にまっすぐ帰れるはず。あ、まってあの子と最近会ってないな、予定聞いてみないと、いやでもいつもわたしから誘ってばっかりじゃない…?一週間は連絡やめるか。
そんな思考をぐるぐると思い巡らすばかり。
こんな夜は、いままで何度もあった。そして思い起こすといつもなにかが怖くて、不安で、大丈夫なのか一から確認しないと眠れない。今の状況からはなにも出来ないのにやり忘れたことを思い出す。
こわいことは、毎回ちがうもの。
小学生の時は夢が怖かった。みるは夢はいつも同じ。知らない街並みを母に手を引かれて歩いている。何もかも物珍しくて、ワクワクして母の手を引いて歩く。ねえ、あれはなに?と声をかけると返ってきた返事がいつからか返ってこない。見上げると手を繋いでいたのは、全然違うひと。怖くなってぱっと手を離す。人並みにもまれるとたった一人で知らぬ街を彷徨う。疲れた頃に目を覚めるという夢。不安で不安でたまらなくなるいつもの夢がこわかった。
中学生の人は人と違うことがほんとうにこわかった。両親は「周りの子はみんなやってるよ」という言葉では何かを買ってくれる人ではなかった。私のなかではそれが一番の基準で、人と違うと排除されてしまうのではといつも思っていた。転勤を重ねるたび、前の学校の何かが人と違うことで注目されてしまうから、言葉を話すことも、なにかするにも、周りの状況を確かめてからになっていた。
高校生の時は世間的なダサいひとになるのがこわかった。人と違うこと、というよりあからさまに学校社会の中でカーストの低い人間になりたくなかった。まずは眼鏡をコンタクトにし、携帯も手に入れた(親は買ってくれなかったからお小遣いをほぼ注ぎ込む始末)。そうして作り上げた自分は、そのときはキラキラしていたように思うのだけど、今思うと張りぼてという言葉が合うようなぺたぺたコーティングされたら自分にすぎなかったといまは思う。その人間っぽい足掻きも含めて好きだけど、両親から見てどうだったんだろうな、とは思う。
大学生のときは人と同じで自分がないことがこわかった。ある程度バックグラウンドが同じ人が集まる大学では、かるく並べた自己紹介は似たり寄ったりだった。同じ悩みを共有できて楽しかったけど、自由な時間だからこそ人はそれぞれ好きなことをしていて、そのなかで自分という要素を出すのがとても大切だったように思う。友達や授業、バイト、サークル、その他。その一つ一つで自分というオリジナリティが作られていくことを、まざまざと見せつけられた時間だった。
いまは、未来が不安で、自分がなりたいようなオリジナルを持つひとになれないかもしれないことがこわい。
そんな大学時代を経て、わたしは好きなことをもっと深めたい、こんなんじゃまだ好きって言えないよねと思うけれど、どうしたらいいか分からなくて、十分に悩む時間が持てていない。
一週間1時間でできるなにかがないかな、お洋服とコンテンツと歴史への知識を深めることのできる時間。
本が一番手軽だけどなにがいいかわからないし、いっそ何かのスクールに通ったほうが意図的に時間が作れるのかなと思うけど服飾専門の夜間部も18時定時だと通いづらい。
迷い迷い迷い、結局昔から見てきたあの夢の中の小さな自分は正夢だったのだろうか。
何も持たぬわたしですが、全力であなたのサポートを活かした「なにか」をします!いまはわたしが沢山の知識と文化とアイデアと記憶を吸収するために使います!