自分には何もない。そんな時の日記をつける習慣が人生を変えるお話~7月の交流会より
空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です!
今回は、
自分には何もない・・・
何の強みもないし、何も成し遂げてきてないし、何もスキルがない・・・
そんな時に、日記をつけると人生が変わった・・・!というようなお話をお届けしたいと想います。
日記をつけていない世界は
このお話を書くにあたって、気づきをくださったのが、夢の降るみちで、毎月行っているオンライン交流会にての、ある方のお話でした。
その方は、日記をつけ始めたところ、あることに気づきます。
それは、毎日毎日いろんなことがあるけれども、日記をつけていなかったら、忘れてしまっている、ということでした。
日記をつけていなかったら、1年色々あった中でも、忘れてしまって、人生色んなことをしているのに、知らないうちに時間が経っていってしまうのがもったいない、とおっしゃっていました。
そしてちょうど私自身も感じたのですが、6月は、ほとんど毎日のように、ブログに気づきを書いていて、毎日書こうとすると、その分、今日はこういうことがあったな、というのを想い出しながら書いていて・・・
それを書いてみると、ああこういうこともあった、こういうこともあった、こういう気づきや学びもあったな、というのを想い出したりして。
だけれども一方で、7月は逆にあまり書かなかったのですが、書かなければ、こういうことがあったな、というのをあとから思い返してその時の事を書こうとしても、同じ熱量では書けないし、その時のなんていうか、うわーっと来る感覚、その時の動き、感情とか・・
もう、ほとぼりが冷めてしまって、その感情は、今は、もうなくなってしまっている、泡のように消えてしまっているのを、すごく感じました。
例えるなら、写真を撮らなかった想い出のようなものかもしれません。
あそこに行ったな、という想い出は残っていても、その様子を鮮明に思い出すことができないような。
そして、写真と大きく違うことは、日記は、写真に写すことができないもの、見えないものを、かたちにすることができる。
心の動き、感情、想い。
見えないけれども、確かに感じていて、それが時に、心を追い詰めることもあったり、逆に人生を変えるくらいの心を揺らぶられるくらいの、大切なもの。
それらを記録できる、それらに言葉というかたちをあたえることができる。
そして、子どものころからの写真を見ると、ああ自分ってこんなに大きくなったんだ、こんなに小さい時があったんだ、と気づけるように・・・
日記も、コツコツ書き溜めていくと、自分自身の幼い時だったり、感情が未熟だったり、エゴだったりするところから、だんだんと、優しさや、誰かを想うようなものだったり、まごころだったり・・・
感情の成長を見ることができる。
それが日記だと想うのです。
日記をつけることで、変わる世界
だからこそ、いま、自分の中にはなにもない、何も成し遂げてきてない、こんな自分なんて・・・
となっているときは、日記をつけることを、おすすめしたいと想うのです。
身長も、記録しておかなければ、伸びている、ということは分からないものですよね。
それは、一気にぐーんと変わるものではないから・・・
同じように、感情もまた、変わっていくのは、徐々に徐々にだから、自分が精神的に成長している、ということは、記録していないと、気付かないものでもあります。
私自身、今現在は、ブログに日記を書くことで、引きこもって好きな事を仕事にするみちをお伝えしていますが、それをお伝えできるようになったのも、私がまだ、0円のときから、記録していたことが、すごく大きいな、と。
0円から、41円になった、それが100円、500円、1000円、というふうに変わっていった・・・その過程ひとつひとつを、どうすれば0円が41円になったのか、100円になったのか、1000円になったのか・・・
というのを、山籠もり先生からの学びや気づきとして、記録していたもの。
それが今、あなたが訪れてくださっている綴りみちのブログになり、教材になったり講座になったりしていきました。
例えばはじまりは41円という数字だけれども、
その数字・結果だけを見たならば、「これじゃ缶ジュースも買えない」というような感覚になるかもしれません。
そうすると、「缶ジュースも買えない金額にしかならなかった」
という記憶だけが残ります。
そうすると、自分は何もできてない、缶ジュースも買えないくらいの文章しか書けない。
という感覚だけが残ってしまう。