見出し画像

わたしの輪郭を擦って

わたしは忘れっぽい。数日前のことが完全に抜け落ちていることもあるし、話したい言葉が出てこなくて話を中断したりすることもある。

わたしの中で記憶は、とりとめもなくそこら辺に散らばった写真の山みたいなもので、その中に腕を突っ込んでガサガサしながら探すのだ。

最近の記憶は、比較的、山の上の方にあるので見つかりやすいが、すぐにどこにあるのか分からなくなる。

刻一刻とわたしの体験は過去になる。生きていると常に記憶という写真が溜まっていく。そのため、どんどん散らかっていくのだ。

古い写真は埋もれて引っ張り出すこともできない。そもそも、ひとつの記憶に関係する季節や会話、一緒にいた人などを他人から言われても、どの写真がそのときの記憶なのか分からない。
わたしは記憶を整理することが苦手なのだ。

もはや、どれが自分の記憶で、どれが他人から聞いただけの話で、どれがわたしの妄想なのか分からない。しかし、それらが混在しているとしても、どうやって区別できるのか。

わたしの中にしかない記憶が、実際に体験したことなのな否かさえ、わたしには判断できない。全て体験したこもかもしれないし、そもそも、何も体験してないのかもしれない。
相反する自分が同時にいる。しかも、どこからが自分なのか分からないのだ。

記憶でさえ、自分のものか分からないのだから、他にもいろいろそういうことがある。自分が分裂していくような感覚がしている。
この分裂していくことそのものを、何とか止めたいと思うのだが、なぜ、こうなっているのか分からない上に言語化が難しくなってきている。

ちゃんとまとめて話すことや文章にすることが難しく感じる。こんなに頑張らないといけなかったっけ。SNSも書いては消し書いては消し、結局、違うことを載せたりする。

被害妄想も少し出てきて、人と話すことに更なるハードルを感じている。
ちらばる記憶、まとまらない言語化、分裂していく自分。これが今のわたし。わたしのかたち。しんどいし、嫌だけどそういうことになるだろう。

どうしてこうなるのか。
わたしの人生は、まだまだ落ち着いてくれないようだ。

疲れたのでここまで。おやすみ、良い夢を。

いいなと思ったら応援しよう!

夢乃くらげ
100円からサポートというかたちで投げ銭ができます!面白いな、いいなと思ってくださったら、ぜひサポートしてください。活動費にさせていただきます。よろしくお願いいたします。