私小説「死にたい気持ち」を投稿して
さっき、だいぶ寝かせていた私小説を投稿した。
小説を書くのは初めてではない。しかし、かなり久しぶりだ。初めて書いた小説は、高校の授業で課題として出したもの。原稿用紙が返ってきて、端っこに「シュールレアリスムですね」と書いてあったことを覚えている。
そのときも私小説を書いた。わたしが書く小説は、だいたい私小説である。他の文章もそうだが、基本的には自分の体験を書いている。自分が持っているものを文章化し、それなりにパッケージして出している感じだ。
なんだか、そういうことをやるのが好きだ。
自分の中にある何かをかたちにする。それを、ここ数年、ずっと続けてきた。文章だけではなく、絵やイベントなんかもかたちになったものだ。
今回、投稿した私小説もそうだ。
自分の中にあった何かを言語化して、物語にした。書きながら考えたから、先の展開を分からないまま、書き進めていった。
物語の主人公は自分だし、今までの体験があるから想像しやすい。イメージさえ、ちゃんと持つことができれば、あとは文章化するだけ。登場人物がどんな声なのか。部屋のどこに何があるのかといった、わざわざ、文章にしないところも想像はできている。
書かないことまで想像するのは、書いているわたしに没入感を持たせるためだ。
書きながら、わたしは物語の主人公になっている。物語を作りながら、リアルタイムにそれを体験しているのだ。その没入感があるからこそ、いろんなものを文章化できる。
わたしの中でリアルに「死にたい気持ち」が存在しているのだ。そして、それは小説を読むときに似ている。
わたしが何かを作るとき、必ず必要なものがある。それは、集中力。それも時間を忘れるほどの集中力だ。過集中だとも言えるだろう。
その爆発力の高さが大事なのだ。だから、ネガティブに言えば、「一気に完成させられるものしか作れない」ということになる。
しかし、その集中力が続いている間は、作っていることに没頭できる。世界にそれしかないというくらい、周りのことが見えなくなる。
そういった状態で、わたしは小説を書いた。わたしは小説の物語を体験し、主人公が持った感情さえも感じながら書き進めたのだ。
作り方も、わたしらしいものになった。
小説を読むと、わたしがどんな人間であるかが分かるだろう。後で読み返して、「確かにうち、こういうとこあるんよなぁ」と思うところが、何ヶ所もあった。
今まで自己開示してきたつもりだったが、小説でやるのは珍しいから変な感じがする。不思議だ。
とは言え、なんか面白いと思ってもらえたら嬉しい。
今は夜中の3時。あまり推敲もせず、この文章を投稿することにする。もう寝なきゃいけないからね。
まだ、小説を読んでない方は、時間があれば読んでみてください。読んでからこの記事を見てくれている方は、ありがとう。
おやすみなさい。