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涙の思い出
池に隣接した小さな山の、中腹辺りに住んでいた頃だったから、幼稚園の年中さんか年長さんだったはず。
父と兄と一緒に、どっかへ出かけた。
父の運転する車で。
どこへ行ったかは覚えていない。
ただのドライブだったのかも知れない。
兄と私は、並んで後部座席に座っていた。兄は両手を使って怪獣ごっこをしていて、私は外の景色を眺めていた。
帰り道、どうやら父が道に迷ったらしい。
「あらぁ?道がわからんよなったぞ?」
え?
不安になって兄の方を見ると、相変わらず「シューン!」とか「ドゴーン!」とか言いながら、右手と左手を戦わせている。
さらに父が続けた。
「道わからんわ。もうお母ちゃんに会えんかも知れんなぁ」
え!?
左上の方に母の顔が大きく浮かんで、私はつーっと涙を流した。
声には出さずに。
お母ちゃん…
玄関の横に金木犀の木がある家に住んでいたから、あれは小学校の低学年の頃だろう。
父と兄が、休みの日の朝早くに釣りに行くという。
前の日に、母がいつものパン屋さんで、甘酸っぱいクリームの入った、細長いパンを買って来た。
釣りに持っていくためだ。
私の好きなパン。
「私も行きたい」と言ってみたが、父も母も、朝早いからふぐ子には無理だと言った。
翌朝、目が覚めると、父と兄が玄関先で準備している様子が、布団の中から伺えた。
母が例のパンや水筒やらを2人に渡している。
布団を飛び出して「私も行く!」と言えばよかったのだろうが、もごもごしてる間に、2人は行ってしまった。
ああ……。
起きとったのに!
私も行きたかったのに!
布団に潜り、そう心で叫んで静かに泣いた。声を殺してしくしく泣いた。
元旅館の、広くて古い家に住んでいた頃だったから、小学四年生か五年生だったろう。
小さい頃から、歩き疲れたり寝不足になったりすると、足首や手首、肘、膝、あらゆる関節が痛む症状があった。
その夜も、関節の痛みで目が覚め、階段を這うようにして降り、まだ起きていた父と母のところに行った。
這ったまま声にならない声で泣いていると、父が「どしたんや!ちゃんと言いなさい!」と言い、母が「足が痛いんよ」と助け舟を出してくれた。
かろうじて「い、痛い」としくしく言ったら、父が足を揉んでくれた。
痛みが少しずつ和らいでいく。
その後、2階に戻って寝た。
時は流れ、今の私はといえば、お笑い番組を見ては「あははははっ!」と声をあげて笑い、疲れた時、嬉しい時、悔しい時には、声に出して「わーー!」と泣く。
「わーー!」と泣くのは家の中かつ一人でいる時だけだが。
それにしても「わーー!」と泣く。
“しくしくふぐ子”はもういない。
大きな声で、思いっきり泣くのは気持ちいい。
泣きたい時は泣けばいい。
言いたいことは言えばいい。
泣いたあとは、何事もなかったかのようにご飯を食べる。または寝る。
しくしく泣いていたのは25歳くらいまでだ。言いたいことが言えなかったのもPoison。
何がきっかけで変わったのかはわからない。
たぶん月日の流れと、少しばかりの経験の積み重ねだろう。
伊達に年は食っていないということだろうか。
遠い昔の涙の思い出。
…
それにしても引っ越し多かったなぁ!うち!
(ほかにもまだある)