名前をつけるとしたら
あおさんのエッセイを読んだ。
弟さんとのことを書いたもの。
普段のあおさんは、フィクションとノンフィクションの境目を行き来するような、若くて儚い、心地よい揺らぎのある文章を書かれる。それは時に恋愛小説であったり、エッセイであったり。とても魅力的な文章だ。
上のエッセイは珍しく輪郭のはっきりした、弟さんとあおさんの様子が目に浮かぶようなエッセイだった。ごめんなさい、私ごのみである。ごめんなさい。
と言うのも、小さい頃から人んちの兄弟の話を聞くのが好きで。
なんだろう?
急に親しみ、人間味を感じてキュンとなるのだ。愛おしくなる。
前にも自分の中の、名前のつかない現象について書いた。誰かがひとりになるのが嫌だというもの。
友だちの家族の話、なかんずく兄弟(姉妹)の話になると、ああ自分と同じだなぁとか、うちとは違うなぁとか、勝手に親密度が増すのだ。
アキヤマ。
中1の時のクラスメート。
私はアキヤマが嫌いだった。
やんちゃな男子たちのパシリで、いつもヘラヘラしてて。
ある時、アキヤマがやんちゃ軍団の誰かに命じられて、私のお尻を触りに来た。
「どうやった?どうやった?」とはしゃぐ男子たち。そいつらにも腹が立ったが、
「硬かった」とヘラヘラ言い放ったアキヤマにはもっと腹が立って、恥ずかしいのとが相まって、心から嫌いだと思った。
1年担当の国語の先生は、若くて元気な女の先生で、サラサラの髪は腰まであった。
教科書の詩を、女優のように朗々と読み上げながら、教室の中をゆっくり歩く。
情熱的な先生だった。
そして、テストを返す時には、名前とともに点数も大きく読みあげていた。
「アキヤマ!0点!」
いや、なかなか0点は取れない。どこか合ってるものだろう、普通。
「アキヤマ!0点!」
ヘラヘラと、でもちょっとだけ顔をしかめて回答用紙を取りに行くアキヤマ。
嫌いだ……。
そんなある日。
その日は参観日だった。
パラパラと集まって来る保護者の面々。
下駄箱のとこにいると、アキヤマがお母さんを迎えていた。すごく若いお母さん。
そして、横には小さな女の子がくっついていた。幼稚園に行ってるか行ってないかくらいの女の子。
アキヤマは少し腰をかがめて女の子の手をひいた。
アキヤマの妹!?
こんな小さな妹がいることにもびっくりしたが、アキヤマが優しく妹を教室まで連れて行く姿に目を丸くした。
お兄ちゃん、なんだ……。
大っ嫌いなアキヤマに情が芽生えた瞬間だ。なにとは言えないやさしい気持ちになった。
まあ、アキヤマの場合は特に本人から妹さんとの話を聞いたわけではないが、こんな感じで、私は友だちや人の兄弟の話を聞くのが好きなのだ。
これは先の記事と同じように(何度も貼ってすみません)、自分の中にある不思議な現象で、同じく高校生になっても大学生になっても、大人になってからも続いた。
ひとりっ子の友だちならば、お父さんやお母さんの話を聞くのだろうな。
実際聞いてしまう。あくまでも会話の流れの中で。
そして一人じんわりしてしまうのだ。
これはなに現象と言うのだろう
もし名前があるとするのなら。
案外みんなあるのかも知れないな。