お前はひとこと多い、空気が読めない
「お前はひとこと多い」「お前は空気が読めない」
小さい頃から母親に言われてきた言葉だ。
「口は災いの元なんだから、その一言が身を滅ぼすよ」とまでいわれていたほどだ。
母は何気なく私を注意しているだけかと思うが、私はこの「ひとこと多い」「空気が読めない」にずっと悩まされていた。
特に小学校高学年頃から高校にかけては、1番この事を気にかけて、自分から発言することにすごく臆病になってしまった時期であり、性格もかなり暗くなっていた時期である。
ちなみに母の指摘する私の「余計な一言」というのは、あからさまに人を傷つけたり、人の神経を逆撫でしたりするようなものでは無い。
「これってどうしてここに置いてあるの?」とか「もっとここをこうしたら?」とかすこし疑問に思ったことを何気なく発言すると、「少しは自分で考えろ」とか「そんなところを指摘するなんて他の人もしてないんだから空気を読め」と、すごい剣幕で怒ってくる。
この指摘が怖くなり、話すことに臆病になると、今度は逆に「なんで言わなかったの」とか「ちゃんと言ってくれなきゃ分からない」「気づいてくれて無いのか」とか言われるようになる。
一体どうしたらいいのか。我慢のしどころと、ちゃんと言うべきところを自分なりに考えて行動してるつもりだが、それでも母親には、発言に対して「その一言が余計だ」と言われ機嫌を損ねられることがある。
自分の発達障害を疑った時期もある。どこか医療機関で検査をしてもらおうと調べた時期もあった。
私は大学生になった時に、気の許せる友人に出会った。友人に私が余計な事を言っていないか、嫌な思いをしていないか、と相談したことがある。友人は驚きつつも大笑いしながらこう言った。
「嫌なこと言うやつだなって思ってたらこうやって一緒に遊びに行ったり、連絡取り合ったりしてないよ!少なくとも私はあなたと気が合うと思ったから、一緒にいて楽しいと思ったからこうして過ごしてるんだからそんな事をいちいち気にしなくてもいい。」
この友人の言葉にどれほど救われたことか。
私の一言に「余計な一言をいうな」「もっと空気を読め」としつこく注意をしてくるのは母のみ。
父親も厳しい人だが、私に余計な一言が多いと注意してきたことはない。夫にも相談したが「別に全然気にならない」と言われた。
そもそも完璧に空気の読める人なんてこの世にどれだけいるのだろうか。
ものすごく気遣いができる人もいるが、悪気がなく相手を傷つけてしまう発言をしてしまう人は多いはずだ。私だって色々な人との関わりの中で、「なんでこの人はこんな事を言うんだろう」「今のは嫌味?」とモヤモヤすることは数多くあった。きっとこれを読んでいる諸君も似たような経験があるのではないだろうか。
今、30歳の私は『自分が発言する事に色々と考え過ぎて臆病になっている自分』よりも、『これまで自分が学び、経験してきたことを元に発言している自分』が好きだ。
もちろん気をつけなくてはならないことは沢山ある。
大切な人を傷つけてしまう事もあるかもしれない。そうしたらちゃんと反省して、許してもらえるまで全力で謝るしかない。私の発言が「それは違う」と否定されれば、それはまた一つの学びとして次に生かしていけばいい。そうやって人は関わりから学ぶのだと気づいた。
母は私に「余計な一言が多い」と言うけれど、私からすると母がこれまで私に言ってきた「貯金はいくらしてるんだ」「いつになったら結婚するんだ」「そんな格好で仕事に行っている人なんていない」「妹はお前より繊細なんだからもっと気を配れ」「つわりは病気じゃない」「生まれてる子供にそんな名前をつけるな、その名前と同じ人は私の周りに馬鹿しかいない」等、余計な一言は山ほど言っている。
だが私は母に「そんな余計な一言は迷惑だ」とは言わない。言ったところで母は私と同じ気持ちになるかもしれないし、言ったところで「娘が母親に対して何を偉そうに言うんだ」と言い返されるのが目に見えている。それが私のこれまでの学びである。
だからあえて、「余計な一言」を言われた時の私の気持ちをここに書いておこう。
『余計なお世話だよ』
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