本当は車が欲しかった。 しかし、いきなり自動車屋さんに行く勇気が出なかった。そして何を隠そうこの私は、ペーパードライバー歴10年である。なんの自慢にもならない肩書きが私の車購入を渋らせた。 とはいえ、いくらなんでも今のままでは行動範囲が狭すぎる。育児休業中の今、通勤手当も出ないから電車に乗るのにもお金がかかる。隣の大きな駅に買い物に行くのも毎回の電車賃が地味に痛い。もちろん娘はまだ自転車に乗せられないので、夫や義母に娘をみてもらってもらっている時だけに限るが、少しで
【アラサーOLの出産体験③】 医師と助産師から、本日中の出産は難しいとの判断が下った。 正直、私の体力は限界だった。 ※この辺りから意識が朦朧としてて、医師や助産師さんの話を私が勘違いしてる可能性もあるので寛容にお読みください※ 助産師さんの話では、夜中は一旦陣痛を抑える?点滴をして少しでも私の体力回復を測るとこの事だった。 「まだ子宮口があまり開いておらず、体力回復が優先」との話だった。 点滴が始まると確かに陣痛の痛みが少し弱まった気がしたが、やはり痛か
【アラサーOLの出産体験②】 出産予定日夜の破水騒ぎは結局空振りに終わり、予定日翌日の朝になった。 この日は40週の妊婦健診の予定を入れていた。 夜中のうちに始まった謎の腰痛がどんどん辛くなってくる。実母に腰痛がする旨を伝えると、「私の時は腰は痛くなかった」と言われ、陣痛じゃないんじゃない?という判断だった。 でも明らかに今までと違う痛み。耐えれない訳ではないが、陣痛だったらどうしようという不安が大きくなってきてた。痛みの間隔も測ってみたが、15分を切るくらい?
出産は十人十色。 むしろ百人百色。 同じお産は無いと言われている。 とはいえ、未知の体験を全く準備せず「なんとかなるっしょ!」なんて気楽にも構えられず。 参考になるか分からないが、人様の出産レポやらVlogやらを読んだり観たりしながら、出産前にひたすらイメトレをしていた。 私の体験は誰の役にも立たないかもしれないが、あの壮絶な体験は書き残しておかないと報われる気もしないので、ここに記しておく。 【アラサーOLの出産体験①】 ありがたい事に妊娠中は至って健康だった
私は仕事が好きだ。 時代錯誤ではあるが「24時間働けますか?」と聞かれれば「はい」と言えるくらい、忍耐も体力もそれなりにあり、睡眠時間が多少削られても大丈夫である。 ありがたいことに仕事も働いたら働いただけ給料も貰えるし、貢献度が高ければ昇進もする。 逆に、夫は仕事が大嫌いだ。 体もあまり強くなく、残業が続くと目眩や頭痛に見舞われ、土日は昼まで起きてこない。睡眠時間が削られることがものすごいストレスだという。 さらに夫の職場は、残業をしても給料が貰えない事もある
2023年2月 娘が誕生した。 この瞬間、私の生きる世界が変わった。 厳密には、世界ではなく私自身が変わったのだが。 まるで白黒の映像が色鮮やかなフルカラーに切り替わったかのように、これまで見ていたもの、私に関わってくるものが全くもって違って見えるようになった。 この子は何を見て、何を感じ、何に興味を持ち、何をして…どのような人生を歩んでゆくのだろうか。自分のことを大切にして、「生まれてきてよかった」とまでは思わなくとも、強く前向きに生きてほしい。 3,000グラム越
「お前はひとこと多い」「お前は空気が読めない」 小さい頃から母親に言われてきた言葉だ。 「口は災いの元なんだから、その一言が身を滅ぼすよ」とまでいわれていたほどだ。 母は何気なく私を注意しているだけかと思うが、私はこの「ひとこと多い」「空気が読めない」にずっと悩まされていた。 特に小学校高学年頃から高校にかけては、1番この事を気にかけて、自分から発言することにすごく臆病になってしまった時期であり、性格もかなり暗くなっていた時期である。 ちなみに母の指摘する私の
2022年7月中旬、医師から正式に「妊娠している」と診断された私は、無事、市役所で母子手帳を貰ってから職場への報告のタイミングを考えていた。 個人的には安定期に入ってから報告したい。 しかし、このまま妊娠が順調に進めば、年末頃には産休に入ることになる。安定期に入ってから報告して、すんなり私の後任が決まるとも思えない。何より、妊娠初期の時点でもつわりが悪化したり、急な体調不良で仕事に迷惑をかける事が無きにしも非ずである。 実は私は少し、特殊な状況で働いている。
2022年の夏の思い出は「つわり」の一言に尽きる。 「つわりは人それぞれ」「全然つわりなかったよー」「つわりが悪化して入院した」「マックのポテト食べるとあっさり治るよ!」「出産するまでつわりで吐いてた…」 情報が様々過ぎて全く参考にならなかった。ちなみに、私はポテトを食べたら吐いた。(元々脂っこいものが苦手だったせいもたるのだろう。) 私は7月に入った頃からうっすら胸焼けが続いていた。 まぁ、胸焼けくらいなら仕事には全然支障が無いやと呑気に思っていたが、7月
「新年、明けましておめでとうございます!」 正月早々寝坊し、TVをつければどれも元旦の特番が新年の挨拶を述べていた。 不思議なことに何度新年を迎えてもこの日は気持ちがとても前向きで気分が良い。心なしかこの日だけは明るい番組が多い気がしている。 もう昼前になろうとしてる時にようやく夫も起きてきて、2人でお雑煮を食べながらお互いの抱負を語り合った。 2月には新しい家族が生まれるー 我々にとっては何よりこれが一大イベントである。 とにかく、夫婦共に健康で、生ま
あっという間に大晦日。 アラサー仲間たちは各々どのように過ごされているのだろうか。 私といえば、「今年は色々あったが、色々なかった。」というような年だった。 1番の出来事は【妊娠】である。 初めてのことで不安も多く、心身共に思うようにならず、やらねばならない事、やりたかった事が出来なくなってしまったのも事実であった。 特に夏なんてつわりと仲良く過ごしていたようなものだった。 妊婦となり、初めて知ったことも多くあり、こうしている今もお腹にいる赤ちゃんからた
常に思うことだが、本当に1年があっという間である。 今年1年はどう過ごせただろうかと、自分に問いながら、とりあえず大掃除をはじめる。 我が家は夫が片付けが大の苦手である。 本人は全く自覚がないようだが、収納を買えばなんとかなると思っているタチで、本を大量に買い貯めては収納用に箱や本棚も買い、片付けた気になっているが、全くそんな事はない。本棚を買ったところであっという間に収納に入らないくらい本が溢れて汚くなる。奥に詰められた本は埃が被り、力任せにぎゅうぎゅうに詰め
7月半ば、ついに医師から正式に「ご懐妊」と診断された私は、役所で母子手帳をはじめ、諸々の書類とマタニティマークを手に入れた。 「こ、これがマタニティマーク…」 これまで子供を中々授かる事が出来ず、外でマタニティマークをつけた女性を見かければ、憧れだったり、嫉妬だったり色んな感情が湧いてしまっていたマタニティマークをついに私が持つ日が来るとは…。 妊婦の第一歩のような気がして嬉しい反面、複雑な気持ちになる。 いつの段階からつけるのものなのか。かつての私のようにマ
初めての妊娠。通うべき産婦人科に悩んだ私はネットの口コミはアテにせず、以下のポイントで産婦人科を選ぶことにした。 病院のホームページに、病院の様子がわかる写真がたくさん掲載されているかどうか ホームページに医師の顔写真と経歴が載っているかどうか 急な体調不良や夜間に駆け込むことになっても向かえる場所にあるか 大きなポイントは以上の3つである。迷ったら、以前お世話になった産婦人科の院長先生のアドバイスを思い出す事にした。 病院のホームページについて。 見比べて
ネットに出てくる産婦人科の口コミというのは極端で、同じ産婦人科の口コミなのに「とても良い病院で心から感謝しています!!」「退院するのが寂しいくらい良い人ばかりでした!!」というプラスの口コミと、「ここの産院は最低です、2度と通いません」「体調が悪いのに全然診察してくれなくて転院しました」というようなマイナスの口コミが混在していた。中には「この病院に殺されかけました」なんてものもあった…。 不思議なことに私が調べた産婦人科はどこもこんな調子で両極端なコメントばかりだった。
「うちの病院は今年の11月末でお産を行わなくなるんです…」 せっかく出会えた「ここで産みたい!」と思える産婦人科が、まさかの分娩を秋で終了してしまうという事実…。非常に残念だった。 私の出産予定日は来年の2月。妊娠後期になる前にはこの病院には通えなくなってしまう。 秋まで通うことは出来ないかと相談したが、病院側としては、できれば早い段階からここではない別の病院で長く通っている方がいざというときに対応しやすいとの事。 確かに、いきなり妊娠後期の妊婦が病院に紹介状