漫画家残酷物語
年齢がバレてしまいますが、子供の頃私は貸本で育ちました。すでに多くの人が貸本屋さんのことを知らないでしょうが、まだそれ程裕福でなかった時代では新刊をすべての人が買えないので貸本屋さんから借りて読んでいたのです。メジャーな少年少女雑誌とは別に貸本屋さんにだけ降ろされる単行本があったのです。多くの大作家もここから生まれました。私は少年雑誌も多く読みましたが、何故か自分には貸本の世界が合うのでした。
少年雑誌では当然の如く鉄腕アトムや鉄人28号に代表されるいくつもの少年漫画に魅了されたのですが、一方貸本では冒険活劇やヒーロー物とは違った、ひとくちに言えば社会が描かれることが多いのでした。どうしようもない崩れた人間や場末の世界や貧困が普通に描かれて、それは一般の少年少女雑誌と比較するとやや高い目に読者年齢が設定されていたことにもよるのでしょうが、絵柄の違いも顕著にありました。判で押して整形したようなきれいなペンタッチとは比較にならないような荒い表現が普通にあって、後にこれらは劇画と称されるようになりました。
私の場合、いつの頃からか、読むものは雑誌ではなく貸本に移行して行ったのです。近くの銭湯の前に貸本屋さんがあって、帰りによく立ち寄って借りました。日の丸文庫とかセントラル文庫とか東京トップ社とか、四畳半と言っては失礼だけど、あまり大きくはない出版社から、当時はハードボイルド系が流行っていたのか刑事ものとかミステリーものが多かったのです。
そんななか、何度か眼にして読んだのが--漫画家残酷物語--です。著者は永島慎二さんという、これまたこの世界では有名な方です。後日、どこだったか古本屋でこのシリーズを収録した分厚い本を見つけました。朝日ソノラマの出版物ですがもう随分汚れていてちょっと値が張るし重い本でしたが買いました。その店がどこだったのかはもう覚えていませんが、多分上京してからではなかったか。しかし年月が経って、子供の頃に読んでいたのを改めて読む機会に恵まれたのです。著作の全てを読んでいる訳じゃないですから収録のなかには初めて読むものもありました。
シリーズの中で、私の特に好きな二編があります。ひとつは--うすのろ--。もうひとつは--雪--という短編です。その物語を語っていては随分長くなりますからここでは--雪--のいち部分だけを語りたいと思います。画像的に著作権の問題があるかも知れませんが、これくらいはなんとか堪えてやってくださればと思います。
ある事情があって--それはつまりは貧困なのでしょうが--新しい服を買ってもらえない少女が子供たちから馬鹿にされています。4月になって暖かくなっても冬物を着ているせいでした。少女はきょう、七分袖の新しいのを買ってもらう事になっているのだと強がりますが、どうせ嘘だと言って馬鹿にされます。前にもそんなこと言ってたじゃないか。
少女は涙ながらに、みんなのバカーッ!と叫んで逃げます。そして公園の門の陰に隠れて服のボタンを外して広げて眺めたりします。
少女の父親は、お金の工面に歩いているのですが、明日ならと言われどうしても工面ができず、きょうという少女との約束が果せず困り果てるのですが、4月とは思えぬ突然の雪が降り始め、少女はお父さんに言います。
「きょうでなくてもいいよ、雪が降ったら寒いものね」
この突然の雪に絡んで複数の話が並行して描かれていますが、私はこの少女に随分感情移入してしまいまして、何度も何度も同じページを読み返しました。当時の一般的な少女漫画に見られるような装飾感もなくサラッと表現された少女のキャラクターやふっと見せるその表情を眺め、これが気負いもなく描ける人に神業めいたものを感じてしまうのでした。
この少女は、私にとってはある種大切なお守りのようでもあります。気持ちが荒んだり歪みそうになったとき、ふとこの少女のシーンを思い出すとスッと悪気が抜けていく感じがするのです。またこの少女の腕には既にぼろぼろになった漫画雑誌が常に大事に抱えられているのでした。それを偶然見かけた漫画家志望の青年が、あんなにボロボロになるまで大事に持っていてくれる子がいる。自分も頑張るのだと思いを新たにする。また、病気の奥さんを抱えて医者に見せる金もない貧乏画家が、あちこち尋ね歩いてようやく絵を買ってくれる人を見つけた。雪山の絵でした。四月というに、突然降ってきた雪に風流を感じて買ってくれたのでした。そしてあとひとり、放映をキャンセルされた脚本家が酒場でふてくされて飲んだくれる。雪の降る街を--と題するドラマでした。もう四月だからね--というのが理由でした。しかしこれが突然の雪でスポンサーの一言でまた差し替えられて放映された。脚本家はそれを酒場のテレビで知って涙する。雪の降る街を--は巷でも随分流行った歌でした。永島さんのこの作品はその時代に描かれたでしょうか。
私は幼い頃から漫画を描く趣味があって、自分でノートに描いては束ねて閉じて自分で製本していました。自分だけの宝物でした。お前以外の誰が読むのかと兄に馬鹿にされたりもしましたが、やめませんでした。長じて高校生の頃は漠然と漫画家になりたいと思ったりしていたのですが、しかし心の内の評価では自分の才能では無理だと判断する部分もありました。意外に冷静だったかな。でもサークルを作ったりして、それなりに活動もしました。今から思うと不思議なものです。内心では無理だろうと判断しつつそれを目指してサークルを作っている…。
しかしいつの間にか私は、コマ割りをする漫画劇画ではなくて一枚物のイラストに関心が移りました。それが徐々に油絵に変わり、冴えない絵ばかり描いて今に至っています。その間の職業は点々としました。学生時代は概ねオーディオに熱中しており、その時の希望で家電メーカーに就職したのが社会人の始まりでした。
貸本屋さんが最も流行ったのは昭和30年代だったと思いますが、実際いつ頃まで続いたのかな。そういえばレンタルビデオもとっくになくなりましたね。時代の移り変わりが早すぎる。
私もあともうちょっとの人生です。皆様にも佳き日を。