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ロールモデルとかより大事なもの
地域に愛着を、そのためにロールモデルとの出会いを!みたいな話。
ほんとそうだなー、大事だなと思う。
大事なんだけど、もう一個前にそもそもの大事なことがある気がしている。
それは、自己肯定感や自己効力感をうむような関係性かなと。
どこもかしこも、自己肯定感自己効力感低いという話があり
自分が好きになれない、こんな自分だめだ、自分なんてとか。思うこともある。
自分の目標に対して、もっとだ!なら無問題だけれども、失敗する自分はだめだ。こうじゃないとだめだ。もっと強みがないと!実力がないと!みたいな。
そういうバイアスがあると、見逃し取りこぼす自分の一面がたくさんあるんだろうな。だからこそ、人の目を鏡として借りるんだろうけど。
なんとなくめちゃくちゃ個人的には、自己肯定感は家庭とかかなりミニマムかつ固い繋がりのなかで積み重なるもの。
自己効力感はもっとゆるく広い繋がりのなかで積み重なるものだと思う。
思えば、自己肯定感は低い自分だけど、自己効力感は高い。(目標がみつかると、そこに対してはまだ山頂が遠い…だめだめかも…となりがちだけど、基本なんでも成せばなると思っている)
それは、憧れるような本気の大人に出会い、色んな達成経験を得てきたから。もあるけど
なにより小学生から、地域の人や父の会社の人や親戚などから目にかけてもらい
高校、大学生になってからも、よしも悪しも色んな人をみてきて。そんな中で、対等に本気で向き合ってくれて、受け止めてくれる人達と励ましがあったのが大きい気がしている。
そんな関係性からのある種の自信(わたし、いてもいいんだ。世界ってこうもあるんだ。)をふまえ、憧れや目標がみつかり、仲間がみつかり、人を起点にご縁ある場所や地域が増え、可能性が増えた。
今では、よっぽどなんかあっても多分わたし簡単には死なないわ。という自分にも自分の周り(関係性)にも自信がある。
それは関係性の上に、一定、時間や行動、信頼のような資本を投じたから更に重なるもので、その資本は常に生き物(すぐ腐る)なので、甘んじてはいられない…
対等に、本気で向き合う。
すると見えるものがある。だからリスペクトがうまれる。
なぜ世界のエリートは美意志を鍛えるのか?に出会ったきっかけは、一緒に会社をやっていた大学生だった。
生意気で、正直仕事できない(って思ってた)。でも、なんだか人に愛される。
私自身もすごく信頼していて、その学生のよさを大切にしていた。つもり。
美術館にいくと、絵や彫刻はもちろん、その人の人生も目線も作品として答えもなくて、ただ1つの在り方を否定もなく受け取っていいね。といえる。
その学生に対してもこれに近いものがあるなぁと。
漠然とそう思い、ふらっと入った本屋で「アート思考」、つづいて「美意識」を見つけた。
もっと、背伸びして見逃さずに
向き合い見つけていきたいよね。