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東京のスタバはゆっくりお茶♪をしに行く場所ではない

東京のスタバは「ゆっくりカフェでお茶♪」をしに行く場所ではない。

午後1時に呑気にスタバに「オシャレな自分」を求めて入店したところで、5分後に残るのは席が見つからず、少量のコーヒーを片手に「虚しく退店する自分」である。

まず、ほとんどの席は勉強・仕事・自己研鑽など、猛烈に何かに追われている人々に占領されている。仮に空席があったとしても、あなたが使えるスペースはかなり窮屈なものであろう。

まるで自宅の勉強机のように、参考書を広げまくる受験生、大声で電話をするビジネスマンなど、本当にスターバックスはみんなのサードプレイス、第二の家だ。東京のスタバにいると、狭い部屋で運命共同体のように共に重い空気を抱えながら、仲良くない人達とシェアハウスしているような気分になる。

ニートだった頃、私は家で1日コロコロするのもなんなので、スターバックスに行くことを計画していた。

スタバへの道のりでは盛大な行進曲のメロディーが流れており、スタバのドアがオープンした時には、それは最高潮に達した。何もしていないくせに「何かをしてやったぜ」と謎の達成感を得て、誇らしげにコーヒーを片手に持っていたのも束の間。

私が座ることになった1列の狭い机の選手たちは、受験生に忙しそうなサラリーマン。私はその日スタバでゆっくりちびまる子ちゃんの漫画を読むつもりだったのだが、私がクスッと鼻息を立てるものならば、ちびまる子ちゃんは一生恨まれ、楽しそうな私は八つ当たりでもされるんじゃないかというくらい空気は緊迫していた。

サラリーマンは少ないコンセントの穴に、それ以上のコンセントをねじ込むんじゃないかというくらい、荷物も多く、この階の全員にビジネスプランを発表している大声で電話する起業家もいた。

私はスケジュール通り、ちびまる子ちゃんを読んでいたのだが、なぜかいけないことをしているような気分になって、ソワソワしながらちびまる子ちゃんを窮屈な椅子の上で読んでいた。

私に託された窮屈なスペース

休みに行ったつもりが、どっと疲れて帰ってきた。

その日以来、スタバのタンブラーの女の人を見ると自己研鑽に努めるように怒られているみたいで憂鬱になる。

修行をしたい人は東京のスタバに足を運んでみることをおすすめする。

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