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人前で話すこと。

 雨が降って少し暑さが和らいでいますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私はここぞばかりにひきこもり生活を満喫しています。

 今日は少し涼しくなったので、久しぶりに屋根裏部屋で仕事をしています。屋根裏部屋にはエアコンがないので、夏の間は流石に入ることもできず他の部屋を間借りをして仕事をしていましたが、やはり独立した環境で仕事をしたいので扇風機を最強で回して何とか過ごせるようにしました。長い間放置していたので、段ボールの上に作った机が傾いていたので、まずはその修理が始めて身の回りを片付けてをしているとあっという間にお昼になってしまいました。しかし、個室は昔の研究室と同じく思考を巡らすのに快適なので、午後から大学の応募書類の作成に集中しようと思います。

 昨日もとある講座のお手伝いをしていたのですが、わたしの職場の年下先輩社員が突然会場にやってきました。どうやら先日上司から「あなたは講師候補だから。」と告げられて自主トレのために休日返上で見学に来たみたいです。聞くところのよるとその人は講師という仕事に憧れがあって、自分が早く講師になりたいと常々周りに伝えていたようです。なので、上司から講師の勉強をしなさいと言われて急にやる気を出したようです。講座の間ずっと動画を撮影してメモをとっていました。その姿だけ見ると講師になりたいと夢を実現するために努力している模範の社員という風に見えるでしょう。しかし、私は少し違和感を持っています。

 みなさんは講師と聞いてどんなイメージを持たれるでしょうか。私はその堂々としている姿から何となくかっこよく見えますし、豊富な知識や経験から裏付けされた言葉はとても説得力があるように感じます。そして、私も大学教員時代も含め人前で話すときは、全知全能でどんな人でも納得させられるような話ができる人になりたいと思っていました。だから、これまでの記事で一貫して書いてきましたが私は授業がずっと嫌いと言い続けています。なぜなら、私はとてもそんな人材ではないことを嫌というほど知っているから、そこから逃げたいとばかり感じていたからなのです。

 ところが最近人前で話すことがそれほど億劫でなくなってきました。今話すことはシナリオを澱みなく読むだけなのですが、それでも参加者に少しでも役立つ情報を伝えたいという気持ちが強くなって、気づいたら同じシナリオでもその場面・場面に合わせてアレンジしている自分がいました。そんな自分だからこそ先ほどの違和感をついつい感じてしまうのです。

 もう少し紐解いていくと、年下先輩社員は普段の業務でいつも愚痴や不平をよく言っています。時にはお客さんに対する不満を口にすることもしばしばです。もちろん上司やお客さんの前ではそのようなことは全く言いません。なので、上司たちは一定程度の評価を与えて、次のステップに進ませようとしているのだと思います。しかし、私も含め他のスタッフは彼の言動に対してあまりいい感情を持つことができません。もちろん困っているスタッフを見て手伝ってくれる良いところもあるのですが、結局ネガティブな行動によって相殺されてしまいます。一方、今回講師をしていた人に合間を見ては、これまでの経験について色々お聞きしました。すると、講座に人が集まらなくて毎日駅前でビラ配りをしたり、知り合いが学校をつくるからといって仕事をやめてそのお手伝いをしたりと、とにかく豊富で多様な経験談が次から次へと出てくるのです。なぜ、その講師の話が説得力があるのか合点がいきました。

 つまり何が言いたいかという本当に人前で話したいのであれば、普段の仕事を愚痴や不平を言わず一生懸命することが、まず講師になるための前提条件だということを理解する必要があります。ところが、年下先輩社員はどこか今の業務から逃れるために講師になりたいのか、あるいは承認欲求を満たすためになりたいのか、そのどちらかもしくは両方ではないかと私は推測しています。残念ながらこの姿勢で人前で話せば情報の伝達はできますが、参加者とのラポールをかけることができないでしょう。

 私もなぜか講師候補に挙げられているようですが、やりたいと姿勢は全く見せていません。別に高飛車になっているわけではないですが、これまでの経験則から何となく話せるという自信は正直あります。おそらく今までの私であれば誰にも負けたくないので、いち早く講師になって年下先輩社員にドヤ顔をしていたでしょう。しかし、今はあらゆることへの執着がないので、言われたらやりますという姿勢でいます。おそらくこの執着心の低減が人前で話すことの億劫さと比例関係にあることに気づきました。仏教では他の宗教と違いとして、この執着心をいかに手放していくかを何度も解いていると動画で学んだので、私も徐々にではありますが執着心を手放せるようになってきたのではと実感しています。おそらくもっとこの執着心がなくなれば、自分の進みたい道に自然と歩めて、人前でも自然体で話ができるようになるのではないかと思います。

 これから大学教員になるひとには、人前で話すことが目的ではなく、それはあくまでもこれまでの生き様の結果であるという発想を持ってほしいと思います。そして、ありのままを自分を表現することによって自分と自分が大切にしたいひとを笑顔にできるような講師になりたいと私は思います。


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