管理職から学んだこと〜女性マネージャーの振り返り記録②
2)プロマネ駆け出し期
21世紀を迎え、私はプロジェクトマネージャーを任されるようになりました。
ITバブルと呼ばれた時代。会社は売上を重視する戦略だったようで、営業は特約店やパートナー会社と組んでどんどんと契約を取っていました。
契約後は自分たちの売上にするために自社で PMをアサインし、パートナー会社に発注する体制となっていました。
開発部門には大量のプロジェクトが流れ込んできました。ほとんどがパートナー丸投げ案件、、
部長(Bさん)は売上管理が仕事となり実務にはタッチしなくなり、課長(Aさん)が抱えきれなくなった案件が配下のリーダーに渡されてきたのです。
私のところには2件のプロジェクトがまわってきました。守秘義務に触れるので詳しくは書けませんが、どちらもひどい有様でした。。
とにかく本番稼働はさせなくては、と死に物狂いで走りました。コストは使い果たし、パートナー会社に頭を下げて仕事をしてもらい、、危ない橋を渡り続けていました。
キャリアを積むため、と厳しい状況下でも弱音を吐かずにいたのですが、夫婦生活に破綻をきたして離婚。。。(前の話には書きませんでしたが、90年代後半に結婚しました)
この時期から10年ほど後、突然内部監査室に呼ばれインタビューを受けました。
どうやらコンプライアンスに触れる行為が行われていたようで、数名が自主退職に追い込まれました。自主退職した人たちは上司に言われてやらざるを得なかったのでしょうし、上司は会社の目標を達成するためにやらざるを得なかった。外資系とは言え、単なるサラリーマン社会です。
自分が部長になって気がつきました。目標達成のためには違法行為ギリギリのこともやらなければ、組織と部下を守れません。でも、それは本当に正しいのか、、、
00年代の話に戻すと、離婚した後は仕事に没頭しました。仕事をすることで傷を癒したいと思ったのでしょう。そのパワーで婚活でもしておけばよかったかなあ(苦笑)
成果を出す→厳しいプロジェクトを任される→何かを犠牲にして成果を出す。。
と言う負のスパイラル。
体重が2年で20kg落ちました。ぽっちゃり体型だったのでダイエットできて良いと喜んでいたのですが、冷静に考えると異常ですね。。
2006年の夏から秋にかけて、タコ部屋のようなプロジェクトルームでトラブルプロジェクトの立て直しをしていました。ある日、同僚の女性たちが気晴らしに昼食に誘ってくれました。みんなが「顔色が悪すぎる、休んだ方が良い」と言ってくれたのですが、私は「離婚したときに比べたら仕事のトラブルなんて大したことない、大丈夫だよ♪」って余裕かましてました。
「その考え方は危険だ」って言ってくれた先輩、とっても正しいです。会社(や上司たち)は私が持っていたパワーを利用していただけ、と言うことが、外から見てわかったのでしょう。
そして、40歳を目前としたある朝、起き上がれなくなりました。目が覚めたばかりなのに、なぜか泣いています、、、。
心身ともに限界に来ていたのです。
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登場人物
Aさん:若手時代から一緒に仕事をしてきた頼れる先輩。50歳で自主退職
Bさん:癖のある部長。天才肌だが怒りを抑えることが出来ず、時々天災となる。50代半ばで左遷され、定年まで残り1年で退職
記事をお読みいただき、ありがとうございます。 夢のあとおしに向けて、多くの方にお会いしたいと思っています。そのための交通費として使わせていただく予定です。