そーいえば、こんな感じだった
超久しぶりに多摩美術大学八王子キャンパスに行った。
卒業以来というわけではないけども、おそらく8年ぶりとかそれくらいのやつ。
情報デザイン学科9期生の有志の人たちが声をかけてくれて、学内でちょっとした同窓会というか、再会出来る機会を作ってもらえました。
僕は2浪して入学しているから、現役で入学している人でも35歳くらいとかでしょうか。
みんな年相応に年を重ねておりました。子連れの人が多くて、子供たちの遊び場も設けられていました。
時の流れを感じつつ、子供たちとの戯れも大変楽しい。しかしこれが日常にある子育てというのも大変なのだと思います。
部屋に入った瞬間に気がつきました。
「あ、仲がいい人がいない。」というか、そういう感じの交友関係を大学で作ってこなかったことに気が付きます。多摩美大は母校なんだけど、自分の記憶ではここで学生時代の100%を過ごしたわけではないことにも気が付きました。
それは僕が学生プロレスの活動をするために一橋大学や帝京大学といった他の大学キャンパスに足を運んでいたことが一因のようです。だって多摩美にいたらプロレスの話が出来ないんだから。学プロの友達が出来ることは自分にとってまた別の生き甲斐を与えてもらっていました。とは言え、居場所が多摩美になかったかと言われればそうでもない。多摩美大では一匹狼で、図書館に籠ったり、映像センターに出入りしたり、一人で自然と足を運ぶ場所は定まっていました。そういった習性みたいなものが自分にもしっかりとあったなということを久々に訪問するとわーっと思い出すわけです。学内ではあまりグループを形成せず、自分の時間軸で生きていたので、マイペースに生きていました。
自分にとってインカレサークルで学生プロレスの活動をすることは横軸の動きで、自分が好きな世界を見聞きする友人関係を形成し、そこに出入りすることと、を受け入れられることに一種の気持ちよさを感じていたのだと思います。当時あったmixiの存在もそうした横軸の厚みをもたらしてくれたと思います。結果的に学生プロレスの活動をするこの横軸の流れは自分にとって今も探究している大事な題材にもなりました。
一方の多摩美大での生活というのはメディアアーティストとしての知見を自分にもたらすための縦軸の世界線です。何故縦軸なのか。それは表現というものを考えることについてより心臓部に探究する、潜り込んでいくといったイメージがしやすいからです。自分自身との対話のようなニュアンスが大きく、友人との会話によってこの空間で何かを発揮するというよりかは、一人で篭って修行をしているという感覚。そういえばグループワークの課題はあまり自分の作品という感覚がありませんでした。グループの企画と自分の本質的にやりたい題材とがきっとかけ離れていたのでしょうね。本当はかけ離れていたのに、かけ離れていないフリをしてみんなに合わせていました。協調性があると自分に言い聞かせていたのかもしれませんが、本当は協調性はなかったのでは?と考察しています。協調性を整わせていくことより、自分が探究したいことにリソースを注ぎたいと思っていたはずです。本当はそういう心持ちだったことも、久しぶりの来校によってわーと思い出すわけです。
場所の喚起力って凄い。かつてそこで熱量ある生活をしたという記憶が細胞レベルでわーっと掻き立てられる感じが自分はちょっと強めなのかなと感じました。八王子地区の外れ、遣水。この遣水の土地、空間も「なんか良い」という雰囲気があります。周りに何もない。広大な空間が自分に芸術モードにさせる、その気にさせてくるサムシングがあったのだと思います。今考えると、自分が小中高と多摩地区、八王子地区で過ごしたこともあり、学びの最終の住処として多摩美大の入学を希望していたのもきっと細胞レベルでその土地柄が自分にフィットしていたからなんだと思っています。じゃあ多摩地区のサムシングって何よ?ってことだと思うけども、これもまた別に探究してみたい。東京だけど、余白がある東京がこのエリアだと個人的には感じている。
そんなことをあーでもなく、こーでもなくと考えていたら、僕のカラダの厚みにみんなが好反応してくれて。かつては”プロレス好きキャラ”だったのが”プロレスラー”を纏って帰ってきたんだなと思えて、妙に感慨があった。それだけ多摩美卒業の人は改めて細身の人が多い。というよりも肉体にそこまで関心がないのもあるのだと思うのだけども、この肉体と思考を接続して肉体派アーティストを育成することは急務だと個人的には思っている。多摩美よ、僕を雇ってくれ。
卒制を担当してくれた佐々木成明さんは今年のパンフレットにも載せてくれた張本人。「どこか広告代理店や制作会社の細身の人がこういうのを作ってますみたいなのばっかりだから、飛び道具としてガタイの良い夢ちゃんを出したよ。」と。
「宮廷は曲を作らせるためにモーツァルトを起用したけど、今はプロレス団体がメディアアーティストである夢ちゃんを雇う時代だよ」と流石すぎる知見でコメントをいただいて、感銘を受けました。そうこれこれ。成明先生のこの独自性のあるガイドの敷き方が僕に噛み合って『ガクセイプロレスラー』が出来たんだった。
そうこう考えていると、最近はちょっと横軸と縦軸のバランスが悪かったなと自省した。特にこういった多摩美大の空間のような縦軸で表現を突っついていくような出会いや時間が創れていなかったと感じる。また横軸で関わる人たちも増え、そこで自分のリソースも割かれていったことで、自分の時間軸の形成が怪しくなっていったと分析出来た。
会もお開きになりそうな頃、校内を歩いている中、ふと今成夢人vs佐野研二郎の電流爆破デスマッチがやりたいという欲求が芽生えていることに気づく。
あのエンブレムをリングのキャンバスにして、幻の東京オリンピック2020親善試合はどうだろうか。そういう発想だから多摩美であまり仲間がいなかったんだな。僕はプロレスを、プロレス的な思考を渇望していたのだ。よく分かった。だからプロレス団体で働けたことは幸せだったのだ。
しかしながら凄いな。久々の来校で、これだけ思うことが出来ることに。喚起オブザイヤー。自分の思い出野郎っぷりに引きつつも、自分のルーツと現在の活動の相関関係などを見直すのにとても良い機会になった。来校した瞬間に「そーいえば、こんな感じだった」がワーッとやってくるんだから。
これで心置きなく自分のSeason2に突入出来そうだ。
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