ラテアートを見てからの笑顔の連鎖
お客様にラテアートをお出ししたら、色んな反応がある。
声をあげて喜ぶ方。
微笑む方。
黙って見つめる方。
相方さんを見つめる方。
喜び方って人それぞれなんだな。
(喜んでいるとは限らないけど。特に無反応の方)
わたしも美味しいものを食べて「うんま~~~」と思ったら顔をしかめる癖がある。
なもんで、一緒にいる人からは「どしたん?まずいん?」と言われる。私のことをよく分かってくれている友達や家族は「出た。いつものだ」くらいに思っていると思うが、初めて見た人からしたら気持ちのいいものではないかもしれない。(でも改める気はない)
なもんで、ラテアートを見たとき無反応の方ももしかしたらそれに近いものがあるのかもしれないから、喜んでいるのかもしれない、と余計に思ってしまう。
さて、本題から逸れたが、笑顔の連鎖について。
ラテアートを目にしたとき。それを写真におさめるとき。
飲んで形が崩れていくとき。逆再生動画にして(混ぜていく様子を。)再生して感動しているとき。
色んな場面で笑顔の花が咲く。
わたしのカフェは狭いから、誰かが笑うと店内はその雰囲気に包まれる。(いや、話に夢中になってる場合は目にも耳にも入ってないだろうけど)
そして誰かが悪口を言ったりネガティブなモードで話していると私も嫌でも聞こえてきて伝染する。
笑顔もネガティブも全て伝染する。
(まあもっと深く言えばネガティブであるとわたしが勝手にとらえているだけかもしれないが。)
どうせ伝染さすなら、笑顔を伝染させたい。
なもんでオーナーであるわたしがネガティブだと致命的なのだ。この10年でだいぶ強くなった。わたし。以前はネガティブの塊だったから。
また話が逸れた。
ラテアートを見て笑顔でいる方の隣の席に座ってる方はラテアートが気になり始める。隣の人はどんなのを書いてもらったんだろう、とか。
わたしもその立場なら気になるだろう。でも気になっても話しかけないのが日本人なのだ。そこに奥ゆかしさはいらぬのだ。
でもたまに話しかけてコミュニケーションを取ってるお客さんがいる。
そしたら話しかけられた方は嫌な気がしない。
むしろ「見て!」の勢いだ。
そこからお客さん同士のコミュニケーションが始まる。
見ててほほえましい。
カフェをしててよかったと最大限に思える瞬間だ。
笑顔は伝染する。
どうせ出すならいい周波数、出そうぜ。
そうすれば自分の周りはいい周波数で溢れる。
結局はそれが自分のためになる。
平和・愛はまず求めるものではなく、自分から。
そうすれば自分がその中に身を置く事になる。
深いな。
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