老化が原因で出来なくなることも…
60代になって定年退職をしたのだからサラリーマンをしていた50代と違うのは当然だ。
しかし変わったのは仕事や生活だけではない。
感情や意識というような心の変化もあれば、考えもしていなかった老化がもたらす変化もある。
60代になって変化すること
50代のころは自分が老化しているという意識は持ってはいなかった。
健康だったからだ。
体内の酸化現象によって細胞が老化していくスピードが60代になって急激に加速しているようだ。
シミやシワなど鏡に映る姿からも容易にその変化を自覚することができる。
同年代の訃報が増えた
60代になってから急に知人の訃報が多くなった。
特に友人の死は自分の人生を見直す切っ掛けになった。
山の中で一人車中泊をしていた時に同級生からライン電話が入った。
学生のころ同じ部活動をしていたもう一人の友人が急に亡くなったという連絡だった。
いつも通り風呂に入ったが出てこないので家族が見に行くと亡くなっていたのだ。
この前会った時はまったく普通だった友人の人生が突然終わったことに動揺した。
その時は一人山の中にいたこともあり余計に心がざわついたのだろう。
人はこんなにも呆気なく人生を終えるのだと思った。
その友人との思い出を振り返るのにも、自分の人生を考えるのにも山中一人車中泊が好都合な状況だったのだ。
いつ人生を終えてもおかしくない年齢になっているのだと思えた。
やりたいことは躊躇せずにやることだとも思った。
それから2年後に若いころ同じ趣味を楽しんでいた友人が立て続けに二人亡くなった。
その二人は喫煙習慣もなく体力も私よりはあるだろうと思っていた人たちだ。
60歳過ぎたら順番はないんだと思った瞬間だった。
あっという間に過ぎていく60代
定年退職して仕事で忙しい思いをすることがなくなったのだからもっとゆっくりと時間が過ぎても良さそうなものだが、60代からは時間も加速しているように感じる。
1年などあっという間だ。
いつも「老後の暇は毒だ」とか「老後の暇は敵だ」などと戒めているからかもしれない。
そんなこともあって60代からの時間は貴重だとも考えている。
サラリーマンだった50代までは仕事での成果こそが時間の価値だったが、定年退職して生産性とは縁のない日課を過ごしているから時間の価値観を変える必要があった。
それもいつの間にか板について深く考えることはなくなった。
このようなNoteを書いているせいかもしれないが、成果的時間の価値よりも生き甲斐とか人生といったことについて考えることの方が多い。
健康は年代で変わることがある
60代も後半になって最も不安なのはやはり健康だ。
今のところ健康診断でも大きな異常が見つからないのはありがたいことだ。
それなのに少し体調が悪いだけでも人生の終わりを意識してしまうのだ。
60代になってから老化と言われる症状は顕著になる。
シワやシミ、白髪などの見た目だけではなく、筋肉の衰えや老眼、前立腺肥大などによる頻尿などだ。
もちろん個人差はあるだろうが、そのような症状を自覚するようになってからやりたいことにも制限をかけるようになった。
車中泊旅や海外旅を躊躇するのもそのような理由が影響している。
もちろん持病だと思っている腰痛や鼻炎もその理由にプラスされる。
つまり60代の後半になって老化による体調変化を自覚すると同時に、やりたいことにも変化があったことになる。
このようなことは50代終盤でも考えもしていなかったことだ。
おそらく惰性のまま人生をフェードアウトしていたなら、車中泊旅や海外旅も先送りにしていたに違いない。
先送りにしたやりたいことは結局健康を理由にして諦めたことだろう。
定年退職したら何でもやりたいことが出来ると思って先延ばしすると、夢は叶えられずに人生が終わってしまうこともあり得るということだ。
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