日本ではありえない海外文化に触れるひとり旅!
今日は少し前に書いた「年甲斐もなく胸躍る韓国個人旅行」の続きだが、この旅を通して感じた色んな韓国文化について書こうと思う。
関空から釜山の金海(キメ)国際空港に降り立った後、釜山と慶州で一人の時間を過ごし水原(スウォン)に移動した。
私は今回、東大邱(トンデグ)からKTXで水原に入ったが、ソウルからなら地下鉄で1時間だ。
ソウルから日帰りできる最もお勧めの世界遺産が水原にある。
それがスウォンファソンだ。
色んな韓国文化に触れる旅
水原は2回目だったが、一度目は一人ではなく同行者の「せっかくなら色々行ってみたい」という要望に合わせ、同じ日に韓国民俗村へも行くことにした。
その結果水原にいたのは2時間程度で、全長5.7キロのスウォンファソンを一周することができなかった。
そのスウォンファソンを歩いて一周するのが今回の旅のひとつの目的だった。
水原駅でKTXを降り、東側にある1番出口へ向かうと水原の街が見えてきた。
前に来た時も感じたが、水原駅出口から見えるまるで街を切り取ったかのような景色は素晴らしい。
水原駅2階デッキの前まで行くと、駅前の道路に横断歩道がないことに気が付いた。
マップアプリで確認すると、駅前の道を渡ったバス停までは地下を通って行くようだ。
地下の両脇に店が並び、人が一人いるだけで塞がるような狭い通路を通ってバス停まで行った。
前はタクシーを使ったが今回は路線バスでホテルまで向かう。
私が停留所に着くのと同時に赤い広域バスが入ってきた。
韓国のこれだけはついていけないと思う文化
そのバスの乗客は私一人だ。
私が一番前のシートに腰を下ろすか下ろさないかといったタイミングでバスは勢いよく発車した。
加速によって後方へ滑り出そうとする通路に置いたリュックを掴むのがやっとだったほどだ。
いくら韓国がパリパリ文化(早く早く文化)だといっても、私のような白髪の老人にはもう少し気を使ってほしいものだと思いながら前にあったバーにつかまった。
そういえば一度目来た時に水原から民俗村まで乗った一般タクシーの若い運転手も酷かった。
一般道を私たちを乗せて100キロ超えのスピードで爆走した。
助手席に乗っていた私は、足を踏ん張りながら「キサンニム、チョンチョニチョンチョニ」(運転手さんゆっくりゆっくり)と叫んだほどだ。
それからは韓国でタクシーに乗るなら模範タクシーかカカオタクシーにしようと思った。
この韓国のパリパリ文化はダイナミズムを重要視するという理由があるようだが、日本ではありえない文化の一つだ。
この文化がいいにせよ悪いにせよ海外の文化を肌で感じたのには違いない。
言い換えればこれこそが旅の醍醐味と言えるだろう。
日本では考えられないことが他の国では文化として根付いているわけだ。
このような文化に触れるたびに、日本ほど几帳面なルールが根付いている国は他にはないと実感する。
私にはちょうどいいと思える韓国文化
赤いバスに乗って10分も経たないくらいで降車ボタンを押した。
バスを降りた停留所からホテルまでは長安門(チャンアンムン)というスウォンファソンの代表的な門を潜ってホテルへ行く。
今回は敢えて5.7キロの城郭で囲まれた街の中にあるホテルを予約した。
早く起きたお蔭で水原のホテルに昼までに着いたが、チェックインは午後3時だった。
とりあえず荷物だけでも預けて昼食に行こうと思い、フロントにいたおじさんに声をかけた。
「今日予約をしている者ですがチェックインまでリュックを預かって下さい」と翻訳したスマホを見せると、「もう掃除は終わっているから部屋に置いたらいいよ」と返事をくれたようだがはっきりと聞き取れなかった。
「えっ」と言うと「アーリーチェックイン」という言葉が聞こえた。
アーリーチェックインとは早くチェックインすることができるオプションだと認識しているから「ヨグミ?」(料金は?)と言ったら、そのおじさんは「ケンチャナケンチャナ」(大丈夫大丈夫)と答えた。
どうも適当だ。
適当と言ってもいい意味ではなく否定的な方の意味だ。
これこそ韓国のケンチャナ文化(大丈夫文化)だ。
いい意味でとらえると韓国のおおらかな精神文化だ。
先ほどのパリパリ文化とは正反対の文化だが、その全く相容れない文化が同居しているから韓国は不思議な国だ。
私はケンチャナ(大丈夫)という韓国語を最も早く自然に覚えた。
それほど韓国でよく使われている単語がケンチャナ(大丈夫)だ。
そういえば四半世紀前の夏休みに家族で韓国の金泉(キムチョン)という小さな町に旅行に来た時のことだ。
日差しが強かったので、妻が日傘を買おうと商店街の店に立ち寄ったことがある。
日傘を買い料金を支払ったが、店の主人が日傘のビニールカバーに縫い付けてある料金札を手で引きちぎったのだ。
それを目の当たりにしていた妻が「あ~」と叫んだ。
引きちぎったせいで案の定カバーのビニールが破けたのだ。
妻の驚愕した声にその店の主人は何でもなかったかのように「ケンチャナケンチャナ」と言い放った。
これも日本では考えられない出来事だった。
おそらく日本だったら私が住んでいるような田舎の商店であったとしてもそんな乱暴な取り方はしないはずだ。
ところでアーリーチェックインの「ケンチャナケンチャナ」に関しては「いいよいいよ」と都合よく受け取った。
3時間以上も早くチェックインしたことになるが、ケンチャナ文化のお蔭で追加料金は払わなくてよかったのだ。
韓国で味わう日本文化
一周 5.7Kmのスウォンファソンを歩く前に腹ごしらえをすることにした。
少し休んでからショルダーバックだけを持ってホテルを出た。
少し歩いているとネギ混ぜうどんと書いた写真付きの韓国語の看板が目に入った。
韓国に来て3日目なので日本食が恋しくなってきていた。
その写真はどう見ても日本のうどんそのものだった。
店に入り入口近くの席に腰を下ろし「チョギヨー」(店員を呼ぶ時の合図)と大声を張り上げた。
日本の店なら静かに手を上げて店員に合図を送るが韓国では遠慮は禁物と言ってもいい。
若い店員が来てくれたので「ネギマゼウドンジュセヨ」というと、「도와 드릴까요?」(お手伝いしますか)と言ってテーブルに備え付けてあるタブレットを手に取った。
この店ではタブレットで注文するシステムだったようだ。
気恥ずかしい思いをしたが腰のあるうどんは旨かった。
店内は私の知らない日本語の歌が流れ、若い韓国人の客で賑わっていた。
BGMや料理は日本びいきの若い店主の好みなのだろうと思われた。
その日は午後の半日をスウォンファソンのトレッキングに費やした。
標高は低いが八達山の頂上まで登るのでトレッキングと表現したが、どちらかというとハイキングだ。
途中でオープンカフェに入り外を見ながらアイスコーヒーを飲んだ。
スウォンファソンを歩いている人の多くは韓国人なのだろうが、ここではパリパリ文化の様子は微塵も感じられない。
誰もが穏やかな顔でゆっくりと歩いていた。
これは見習いたいと思う韓国文化
次の日、水原(スウォン)から地下鉄でソウルに移動した。
水原駅で地下鉄に乗った時は座ることができなかった。
私は出入り口近くでリュックを床に置き立っていた。
ソウルにある目的の鍾路3街(チョンノサムガ)という駅までは約1時間だ。
私は座ることを諦めていた。
ソウルまでは乗客が減ることは考えにくいからだ。
乗車して40分程度過ぎたころだ。
私の前に座っていた女性が立ち上がり何やら言って私の腕を引っ張った。
「ここへ座りなさい」と言ったようだ。
列車が停車のために徐行し始めた時だったので、その女性は下車するのだろうと思い私は遠慮なくそこへ座った。
列車が駅に入り停車するとドアは開いたがその女性は降りなかった。
私は申し訳なく思いその女性に座って下さいと言った。
その女性が若ければ「ありがとうございます」とだけ言って甘えたいところだが、どう見ても私より10歳は年上の高齢者だった。
しかしその女性は「私は次の駅で降りるから大丈夫です」と言って私を立たせなかった。
私が水原からずっと立っていたのを、その前で座って見ていたのでかわってくださったのだ。
韓国では何度か地下鉄やバスで席をかわって頂いた経験がある。
おそらく儒教文化なのだろうが、この数日よく歩いていたので立っているのが辛いと思っていたところだった。
いずれにせよこの老女の優しさには感謝しかなかった。
私は日本に住んでいて電車内で人に席を譲った経験はないし、譲って頂いた経験もない。
そしてもし日本でこのような状況のとき席を譲ることができるだろうかと考えた。
田舎生活で電車に乗ることも少ないが、もしこのような状況になればこの老女を思い出し勇気を出して席を譲ってみようと思う次第だ。
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