毎日投稿して3ヶ月になろうとするNote!
今は朝の4時半だ。
年寄りだから寝られずに早起きしたのではない。
今日はこのNoteを書く時間がないから早起きして書いているだけだ。
中途半端な継続の後に待っているのは?
いつからこのような性分になってしまったのか思い当たらない。
私の本性は三日坊主だ。
三日坊主の時はなぜ継続できないのだろうとよく自責したものだ。
このNoteも毎日投稿することなど考えていなかった。
本性は三日坊主
このNoteを書き始めたのは今年の2月になってからだ。
その時は毎日書こうとは思っていなかった。
長年三日坊主と付き合ってきて、続かないことぐらい自分が一番分かっているからだ。
このNoteを書き始めた時も最初から気負いはなかった。
どうせ長く続くはずもないのだから気楽に書けばいいと思っていたのだ。
これまでも他に三つもブログを書いていたが、そのどれも今は休眠中だ。
それなのになぜ今日まで継続できたのかと考えてみた。
継続をやめる恐怖心
私の三日坊主はフェードアウト型だ。
一日やらない日を作れば、徐々にその回数が多くなり止めてしまう傾向にある。
Noteを書こうとしたが1日書いてやめてしまったという人もいるが、それはそれで潔い。
やってみたが自分には合っていないという判断が早いということだ。
その意味においてフェードアウトしてやめるのは中途半端と言うしかない。
そしてそのことを分かっているから一日休むことができない。
今日書かなければきっとその頻度が増し、書くことが継続できなくなるだろうという先入観だ。
この3ヶ月間にも身内の葬儀などがあったが、その間も投稿を続けたのはそのような理由からだ。
つまり心の中にやめる恐怖心があるのだ。
三日坊主の悪癖を戒める自責の念だ。
途中でやめたことに対しての後悔や責任を意識する感情が、いつの間にか強くなっていたのだ。
今日は午前中、妻の用事に付き合うと前々から約束していた。
午後はドラムのトレーナーとしての仕事が入っている。
夜はセッションに出かける予定だ。
Noteの毎日投稿を途切れさせないとすれば、この早朝しかないという訳だ。
そして毎日投稿という継続記録が長くなればなるほど、今度は書かない日を作るという選択が難しくなる。
継続できている理由
文章を書くのは好きな方だ。
好きでなければ最初からNoteを書こうなどと考えるはずもない。
今日まで続いているのは好きなことを好きなように書いているからだ。
Noteを毎日発信する行為は私にとって仕事ではない。
楽しんで書いているのだから趣味と捉える方がしっくりくる。
しかし心のどこかに、趣味にはない使命感のような気概を意識しているようにも思えてならない。
その隠れた意識が継続の原動力になっているのかも知れない。
そして別に継続できなかったとしても誰に咎められることもないのだから、書きたくない日は書かなくていいだろうと心の中で思いながら書いているのだ。
治したい性分は屁理屈好き
正に治したい性分がこのような屁理屈だ。
何にでも理由を求める性分だ。
継続できていることは悪いことではないはずなのに、本当に楽しめているのかといったことを考えてしまうことだ。
今日も思い切って書かない日にしようと考えた。
必ず近い将来そんな日が来るのは分かっている。
継続するという行動にはそれ相応のパワーが必要だが、その疲労感からも逃れたいという気持ちがある。
何も早朝4時に起床してやることではないだろうと思うのだ。
しかし三日坊主に戻るのが怖いのか、それとも根拠もない使命感に捕らわれているのか分からないが今日も書いている。
特に今日のような日は何を書こうと考えていたわけでもなく、ただ毎日投稿という継続を埋めるために書いていると言ってもいいだろう。
だから頭に浮かんだことをただ書いているというだけだ。
屁理屈好きなのにこのNoteに対しては目的も目標も持たずに始めてしまった。
それでも暇つぶしという動機には相応しい。
暇つぶしなら4時に起きてまでやることではないと言うところが屁理屈にもならない理由だ。
中途半端な継続の後に待っているのが疲労感だけだとしたら虚しい限りだ。
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