インドアの日常に欲しい心地いいテンション!
何のストレスもなく過ごす日常は平和だ。
しかし定年退職して誰とも会わず、何もせず過ぎる日常は心豊かな平穏とは掛け離れたものだ。
今日はインドアで過ごす、そんなもやもやとした感情を理屈っぽく文章にしてみようと考えた。
定年退職で失った二種類の緊張感
医学的根拠は何もないが脳が感じる緊張感には二種類あると思っている。
心にストレスとして悪い影響を及ぼす緊張と、心地いいと感じる緊張感だ。
もちろん欲しいのは心地いい緊張感だ。
二種類のテンション
仕事をしていたころ多いと感じていたのは人間関係のよくない緊張感だ。
クレーム対応は勿論、社内の人間関係の緊張もいいものばかりとは限らない。
人間関係以外では肉体的にも精神的にも強いストレスを感じるような仕事は記憶にない。
このような心にダメージを与える緊張は私だけに限ったことではない。
仕事をしていたら誰にでもあることだ。
定年退職で仕事と共になくなるのがこれらの緊張感だ。
しかし考えてみればストレスになるような強い緊張感だけなくなったのではない。
意識することはなかったが心地いい緊張感も定年退職と同時に失くしたはずだ。
例えば同僚との何気ないやり取りや営業先での契約行為は、心地いい緊張感に包まれていたはずなのだ。
この緊張感は充実感や遣り甲斐として心にもいい影響を及ぼしただろう。
なぜ今更ながらにこのようなことを考えるのかと言えば、最近このような心地よさを感じることすら難しいと実感しているからだ。
何ひとつ緊張感がない音楽や映画と同じだ。
最も贅沢なアウトドアの日常
このような心地いい緊張感のある日常は贅沢この上ない。
定年退職後にやったひとり旅や低山の早朝登山も、このような心地いい緊張感を求めてやったことだ。
最近インドア生活が長くなったせいで、そのような緊張感がなくなってしまったと感じているのだろう。
ひとり旅をしている時には意識していなかったが、心地いい緊張感に包まれていたその頃の日常は贅沢だったと言うしかない。
つまり平穏すぎる脳が刺激を求めているのだ。
充実感や遣り甲斐に変わる日常のテンションを、インドアで得ることを考えているという訳だ。
定年退職後の経験では、アウトドアで得るほどのテンションをインドアで得るのは簡単ではなさそうだ。
アウトドアの心地いいテンションというものをもう少し深堀してみると、直接見えているものと想像して感じるものが緊張感となって心を揺さぶっていた。
初めて見るものが心のスイッチをONにして、その先に起こる未来の想像がテンションとなっていたのだろう。
抽象的過ぎて表現しにくいが、例えるなら登山の途中に道標を見て少し違和感を感じた時などだ。
道標を見た瞬間ONになった警戒心が未来を想像する切っ掛けになる。
道標通りに進んだ未来を想像して緊張し、間違っていたら躊躇せずに引き返すことを考えながらまた緊張するといったことだ。
悪いことばかりではなく、登山口まで降りて来ることができればその緊張が開放されて安心感が協調される。
水平線の空の雲が薄くなっていくのを見て、美しい夕日の写真が撮れそうだと想像したりすることも心地いい緊張感のひとつだ。
旅やアウトドアでは意識していないだけで、実はそのような小さなテンションの連続なのだろう。
非日常の正体がそのテンションだということだ。
インドアに求める非日常
できることならインドアの日常にもそのようなテンションを求めたい。
アウトドアも見えたものがスイッチになっているというだけで、その実態は想像なのではないかということだ。
緊張感が想像なのだとしたらインドアでも作り出せるはずだ。
例えば今書いているこのNoteも想像なくして書けるものではない。
書いている間は想像の連続だ。
書くことを日常にするということが、インドアでありながら非日常の世界を作り出していることなのだろう。
そのように意識していれば、インドアであってもテンションの効いた非日常を過ごすことができそうだ。
このようにこのNoteを緊張感にこじつけたのは毎日書くのが危うくなってきたからでもある。
できれば中途半端に途中で挫折しないための策だ。
インドアであっても、緊張とその解決によってメリハリのある生活が手に入ればいいという訳だ。
そのためにもNoteは続けるべきだという戒めだ。
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