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海外列車旅の思い出【家族旅行】

長男が中学生くらいまでだろうか、毎年のように家族旅行に出かけていた。
子どもたちが夏休みの間に行う我が家の家族行事だ。
今日はその中でも飛行機を使わずに行った韓国旅行の話だ。
このように書くと勘違いされそうだが決して裕福な家族ではない。
テレビや車の買い替えを犠牲にして旅を優先する家族というだけだ。


飛行機に乗らずJRで行った韓国旅

他のブログでも書いたがもう四半世紀も前の話だ。
第一次韓流ブームより前、韓国では靖国や教科書問題をネタに反日が叫ばれていた時期だ。
近所の友人には「何もこんな時に行かなくても」と言って諭されたが決行した。

家族旅行で列車旅を計画

実はこの時、家族で韓国へ行くのは二度目だった。
一度目は飛行機でソウルへ行った。
その時子供たちの意見は圧倒的に東京ディズニーランドだったが、私は勝手にソウルを押し通した。

子どもの内に一度海外を経験させてやりたかったというのは建前で、自分が行きたかったからだ。
結局この旅行ではディズニーランドではなくソウルのロッテワールドに連れて行った。

そのことに関してはいまだに我が家の正月のネタになるほどだ。
学校でもディズニーランドの話題に入れなかったのは誰のせいなのかと言ったことだ。

二度目は韓国の友人が「家族で遊びにおいでよ」と言ってくれたことが切っ掛けだった。
幸い家族全員、一度目のソウル旅行で取得したパスポートを持っていた。

子どものパスポートは5年しか取れなかったと思う。
せっかく取ったパスポートなのでもう一度くらい使っておくべきだろうと、また勝手に韓国旅行を企てた。

唯一の韓国の友人が住んでいるのは、韓国でも内陸部の小さな街だ。
韓国第三の都市、大邱市(テグシ)から少し北上した辺りで、直指寺(チクチサ)という有名なお寺のある街だ。

釜山(プサン)まで飛行機で行こうかとも思ったが今回は列車の旅を選んだ。
当時発売されていた日韓共同切符を使うことにした。
プサンまでの料金でソウルまで行けてしまうくらいの割安感に加え、我が家の場合は子ども二人が半額になるからだ。

我が家は兵庫県なので新幹線で神戸から博多、ジェットフェリーで博多港から釜山港、セマウル特急でプサン駅からソウル駅まで乗れる切符だ。
実際には姫路駅から乗車し、韓国では金泉駅(キムチョンヨク)で途中下車する予定だった。

ジェットフェリーはJR北九州が運行しているので、この料金も含めて子どもは半額だった。

反日の最中に家族で韓国へ旅に出た

出発日の朝、私たち家族5人は姫路駅から新幹線に乗り博多駅に向かった。
長男は中学生で次男が小学4年生、そして一番下の娘は小一だった。

これまでは家族旅行と言えば車旅が多かった。
その理由は荷物が多くても自由が効くからだ。

だが一度飛行機旅をしてから我が家の旅スタイルが変わった。
我が家というより私のと言うべきだろう。
運転しなくてもいい分、家族とのコミュニケーションも増えるからこれも悪くないと思った。

博多駅からタクシーで博多港国際ターミナルへ行き出国手続きをした。
もちろん船での出国は私も初めてだ。
この初めての経験は誰にとってもいいものだ。

特に中学生の長男にはいい刺激になるはずだ。
前回のソウルでも地下鉄の路線図を長男に渡し下車する駅を任せたりした。

高速船なので博多港から3時間40分で釜山に着く。
釜山港で入国手続きをして釜山駅には徒歩で向かった。

地図上では釜山港から釜山駅までは1Kmもないと思えたが、道を間違ったのか結構歩くことになってしまった。

夏の暑い日だった。

釜山駅で乗車するのはセマウル特急だ。
釜山から東大邱(トンデグ)、大田(テジョン)を経てソウルへ向かう京釜線だ。

もちろんセマウル特急はどれでもいいという訳ではない。
最初から指定されたチケットだ。
時間に余裕はさほどなかった。

改札口でチケットを渡した時、少し違和感を感じた。
チケットは新幹線を含め全ての往復チケットが一緒に綴じてあった。

この時、確認をして正解だった。
釜山駅の駅員が復路のチケットを切っていたのだ。
時間はなかったが日本語で「間違っていませんか」と訴えた。

おそらくこのようなチケットで乗る乗客もいなかったのだろう。

プサン発セマウル特急の出来事

改札でひと悶着あったが何とかセマウルの指定席に座ることができた。
初めての海外列車旅だった。

チケットはソウルまでなのでソウル着の時間は書いてあったかも知れないが、私たちは途中下車しなければならない。
韓国の友人からは金泉(キムチョン)にもセマウルは停車するので心配はないと聞いていた。
それにしても金泉着の時間が分からなければ降りる準備をすることもできない。

今ならスマホで確認することは容易だが、当時は初代スマートフォンも発売されていない頃だ。
しかもこの時のセマウルは日本語のアナウンスがなかった。

韓国語、英語、中国語だけだ。
おそらく反日政権の影響だろうと思われる。

心配しているとセマウルの車掌が、チケット確認のため私たちのところへもやって来た。
私は左手にしていた腕時計を指さしながら「金泉(キムチョン)には何時に到着しますか?」と日本語で何度も聞いた。

車掌は日本語が分からないようだった。
とうとう何の返事もなしに他の席のチケット確認に行ってしまった。

しかたなく英語のアナウンスに注意しておくしかないと諦めかけていた時だ。

先ほどの車掌が若い女性を連れて戻ってきた。
「車掌さんがチケットの確認をしながら日本語の話せる人を探していたので来ました」とその女性が流暢な日本語で話してくれた。

このセマウルは金泉(キムチョン)には停車しないので東大邱(トンデグ)で乗り換えなければならないこと。
そしてその東大邱駅の到着時刻や、乗り換えるムグンファ急行の発車時刻などを詳しく車掌から聞いて紙に書いてくれた。

その女性は「何かあったら私に声を掛けて下さい」と言うと、空いていた私たちの後ろの席に荷物を置いて座った。
そして「おやつでも買って貰ってね」と言って日本の500円硬貨とオレンジを娘に手渡した。
恐縮して「そんなことまでして頂いては…」という私に「日本に留学していたので財布に入っていましたがもう使うことがないので気になさらないでください」と言ってくれた。

旅の一期一会とはこのことだと確信するできごとだった。

車掌が「あと5分ほどで東大邱に到着しますので降りる準備をして下さい」とわざわざ伝えに戻ってきてくれた。
これも後ろに座った女性が通訳してくれた。

東大邱駅から乗ったムグンファ急行

セマウルで経験したのは、反日はどこへ行ってしまったのかと思える出来事だった。

東大邱駅(トンデグ)は今はKTXも停車する大きな駅になったが、当時はまだ普通の駅だった。
荷物を持って東大邱駅で降り、乗り換えの場所を探していると駅長らしき人がやってきた。

「こちらに来て下さい」と言った手招きで別のホームへ案内してくれた。
日本の駅のように橋を渡るのではなく線路を歩いて隣のホームへ渡った。
まるで映画で見たシーンと同じだった。
東大邱駅で放火事件が起こったのはこれより後のことだ。

ムグンファ急行がホームに入ってくると、その駅長らしき人は列車に乗り込み入口近くの席のひとつをくるっと回して向かい合わせにし「こちらに座って下さい」と手招きしてくれた。

おそらく私たち日本人の家族が金泉に行くのをサポートしてくれと、セマウルの車掌から連絡を受けていたのだ。
そしてその横の席に座っていたご婦人に何やら話して出て行った。

少し待ってムグンファ急行が発車したが、そのサポートはまだ続いていた。
今度はムグンファの車掌が私たち家族のところへやってきて何やら聞いてきた。

携帯電話を手に持って一生懸命ジェスチャーをするので、私は金泉で待ってくれているであろう友人の電話番号を伝えた。
すると車掌はその番号に電話をした。

後で友人に聞くと日本人の家族が今、ムグンファに乗っていることと列車が少し遅れていることを伝えてきたとのことだった。

おそらく小さな子ども連れということもあり余計に親切にして頂いたんだろうと思ったが、一部で反日と騒いでいるニュースの出来事は、この旅で何ひとつ感じることはなかった。
ムグンファの隣の席のご婦人にも話しかけられたが、東大邱の駅長らしき人が私たち家族を金泉駅で降ろしてくれと頼んでいたようだ。

帰りは友人が隣町の亀尾駅(クミ)まで車で送ってくれたので、そこからセマウルに乗ったが来た時のような出来事はなかった。
たまたま乗り合わせた列車での出来事だったのだ。

一泊した金泉でも同じような親切はあったがそれは友人との間での話だ。

この列車旅は私たち家族にとって忘れることができない思い出となった。

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