【エッセイ】嘘を一年間書き続けた
目標
去年の2月2日。
31歳の誕生日。
何を思ったのか一年の目標として「毎日、嘘という建て付けで短い創作をしよう」と決めた。
今日で一年がたったので、少し振り返ろうと思う。
成長
毎日創作をしていた事による成長は?
別に、特に無い。
創作に慣れたか?
いや、慣れない。
文章が上手くなったか?
いや、まったく。
脳が活性化されたか?
いや、毎日ボーッとしてる。
毎日毎日、嘘という建て付けで短い創作を繰り返してきたものの、それによって何かを身に付けたかというと、全くもってそんなことはないのだ。
こういうことはどんなことであれ
心から真剣に
目を凝らして耳を澄まして感じとり
反省と改善を繰り返し
良い物を創ろうという強い信念を持ち
そうしていかないと成長など無いのだ。
惰性で繰り返される経験は、事実のみが残り、力にはならない。むしろ悪癖が付く恐れすらある。
習慣化は万能では無いのだ。
喜び
だがしかし、よくよく思い出すと、そもそも一年間、何かを身に付けようとして続けてきたわけではなかった。
毎日という枷も、成長の為の制約ではなかった。
ただただひたすらに、とにかく楽しいからやっていただけなのだ。
毎日生み出される変な情景に
我ながら感心しながら
我ながら驚きながら
我ながら情けなくなりながら
なにも思いつかない日は唸りながら考え
時には無理やり取り繕い
そうやって創作の喜びを感じてきた。
そしてなにより、公開した創作に対してコメントや「スキ」や「ファボ」などの反応を頂けたことが、本当に嬉しかった。
完全に個人的な試みを読んで頂けているという事実が驚きで、喜びで、幸福だった。
皆様、ありがとうございました。
遊び
話の風呂敷を一気に広げるが、この「何かを得る為にやっているわけではなく、それ自体が楽しみである行為」は、人生において最も大切な事だと思っている。
目的の為の手段ではく、目的の為の目的、つまり目的自体なのだ。
俺はこれを「遊び」と呼んでいる。
人生は遊びのために存在している。
「子どものための哲学対話」という本にそう書いてあった。小学生の頃にこの本を読んで、遊ぶ為に生きようと決心したのを思い出す。
当初は、一年続けたらやめようと思っていた。
新しい目標を立てて、短い創作はやめようと思っていたのだ。
しかし、前述のとおりこれは、成長の為の制約などではなく、遊び、なのだ。
やめる必要なんてどこにも無い。
毎日という条件は取っ払っても良い。
もう少し長くても良いかもしれない。
自由に遊ぼう。
何か条件を付けた方が楽しいかもしれない。
それも自由だ。
なるべく楽しいように。
なるべく楽しいように。
ありがとうございました。
これからも宜しくお願い致します。