特に何を書くか決めていない
何を書くか全く決めていないのだけれど、漠然と何かを書き連ねたいという欲求だけが溢れて、取りあえずnoteを開いてみた。
こういった事を書かないといけない、などといったハードルもプレッシャーも無いので、何にも気にしないで、ただただ今この時思った事をひたすら書く事にする。
今、頭の中を何が占めているのかというと、兎にも角にもお腹が痛い。とてもじゃないが眠れない。
正月にお餅を食べ過ぎて以来、ずっと少しずつお腹の調子が悪かった。ずっと少しずつお腹が痛かった。
おそらく、未だに腸の中にお餅が詰まってるのではないか。
今日、お腹の調子が悪いにも関わらずマクドナルドを沢山食べてしまった。本当に、完全に、魔が差したとしか言いようがない。
それがいけなかった。
お腹の左下及び背中の強い痛みがやまない。先程までは、大袈裟に言えば、動けない程だった。
このまま痛みがひかなかったら明日は病院へ行こうと思う。
しかし、起きたら痛みがひいていたらどうしようか。昨晩はとてもお腹が痛くて、でも今はなんともないです、とでも言いに行くのか。
そもそも医者からの問診で痛みの表現を聞かれるのが苦手なのだ。
痛みの言語化とは、正しい認識として共有できる物なのだろうか。難しすぎると思うのだが。
お腹の真ん中あたりは下へジョワワァァと、お腹の左下はホースを無理やり絞った時に苦しそうに見える造形が思い浮かぶような感じと、背中は不思議な痛みです。
こんなので通じるのか?
痛みの言語化で思い出したのだけど、そういえば音色の表現によく食感の表現を使っていた。
飴玉を口の中でコロコロ転がすような音、やたら柔らかいガムが奥歯にくっつくような音、錆びたスプーンを前歯で齧ったような音。
クラシックギターは指のタッチや弾く位置で大きく音色が変わるので、そういう表現が必要になっていたのだ。
口の中の感覚が音色と近い感覚なのは頭蓋骨が振動するという意味で近いのかもしれない。
似たように、お腹の痛みも他の近い感覚で表現出来ないだろうか。
手のひらの感覚はどうだろう。
ぶら下がり懸垂を数分続けた時の手のひら、ジャムの入ったビンの蓋を思いっきり捻り開けようと試みたときの手のひら、レンジでチンしたコンビニ弁当を熱いまま我慢してテーブルまで運んだ時の手のひら、ふと思い立ち湯船の水面を思いっきりはたいた瞬間の手のひら。
案外良いかとも思ったが、今まさに感じている痛みそのどれでもないので、やはりあまり役に立たないな。
そうこう書いているうちに、痛みは少しずつひいていっている。この位の痛みなら眠ることは出来るだろう。
明日、病院に行くべきか。慢性的に調子が悪いのだから痛くなくても、恥ずかしがらずに。