【持論】責任という言葉を安易に使うべからず

自由には責任が伴うという言葉があるが、そんなのは嘘っぱちだ。

物事には因果がある。
しかし、個人的なそれをどれだけ突き詰めて掘り下げて切り崩しても、責任なんて概念は出てこない。
確かに、細かく分析をして省みて、再現性のある事柄を回避する対策を練る事には価値がある。
また、誰かに苦痛を与えてしまった事への罪の意識や恥ずかしさ・情けなさ故に謝罪をする事も多々ある。
それらは責任とは全く関係が無いのだ。

責任は、法律などの取り決めやルールにおいてはじめて発生する概念であり、個人の行動や対人関係において使われる事では無いのだ。

何か失敗をしたとき、「それはお前の責任だろ」などとなすりつける事はもとより、「これは私の責任です」などと発言する事も間違っている。

責任という言葉はそういう事ではない。


自由はそこにただあるものであり、与えられるものでも、手に入れるものでもない。

リスクやメリットなどを天秤にかけて意識的あるいは無意識下で判断をする行動の全てが、自由のもと行われている。

もしくは、自由などどこにも無い。

行動の全ては脳の仕組みが決められた命令として作動し、己の自由は一つもなく行われている。

そのどちらであっても、自由には責任が伴うという命題は偽だと明らかである。


責任という言葉は何かと便利に使われてしまいがちだが、取り決めやルールにおけるソレと混同させてしまい、不要なペナルティーを生み出す元凶になりかねないので注意が必要である。
言葉の力は恐ろしいものだ。

正しく省みて、着実に改善すべし。

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夢蒟蒻
ありがとう