「いい先生って?」子どもに聞くのが1番!
エドカフェ No.17 本質観取『よい教師』〜リベンジ編〜
With苫野一徳&木村泰子
正解なんてない!
でも本質観取をすると「どうすればいいか?」が見えてくる。
子どもたちに聞いた。「いい先生ってどんな先生?」
「知らん!」「人それぞれでしょ?」
「いい先生って透明人間(エドカフェNo.14より)って言うんだけどどういうことかな?」
「影がうすい」「見守ってくれる」「どんな色にでもなれる」
子どもの言葉ってすごい!
ああだこうだ言わなくても子どもたちがつながっていく。それが透明人間。
「この先生のおかげで子どもがこんなになりました!」こんな耳障りのいいことばをもらうこともあるけど違う!
子どもは教師の自己承認の手段ではない。
やっぱり子どもの言葉には勝てない。
「いい先生って?」(泰子さんも)娘夫婦の子どもに聞いてみた。
<小学校1年生シンちゃんの言葉>
「え?・・・人を助けられる人」
「助けるってどんな人を?」
「ん?いじめられてる子」
「シンちゃんのまわりにいじめられている子いるの?」
「あんまりいないと思うけど、でもいると思うよ。」
この子にとっては、いじめられてる子を絶対助けてくれるのがいい先生なんだな!
<中学2年生アイちゃんの言葉>
「生徒に偉そうに言わない先生!」と即答
「もうちょっと詳しく教えて」
「8年学校行ってるけど、8年目にしてこんないい先生はいないっていう先生に出会った。」
バレーボールの授業やるとき、ネットはこうでルールはこうでこれはアンダーこのパスは・・・ってこういうことをだいたい先生って教えたがる。でもこの先生は”ネットはろうか〜”とみんなでやる。”じゃあボールあるからゲームやろうか?”とみんなにやらせる。
バレーボールが得意な子、苦手な子、いろいろいる。目の前の子たちの事実をまず見る。そこから問題を見てどんなルールつくる?とやっていく。
「今まで出会った先生とこの先生の違いって何?」
「教えない先生!」
「しまった!ここに子どもがいなかった。子ども抜きで「いい先生」の本質観取はできないな。」と一徳さん。
正解なんてどこにもない。
目の前の子どもの姿の中にしか・・・
子ども同士をつなげる先生
学校の先生の専門性の1番上にあるのは
子どもと子どもをつなぐことができるか?
これさえあればいじめとか不登校とか生まれてこない。
なぐった。なぐられた。ジャッジしてあやまらせておしまい!これでいいか?「なぐったらあかん」そんなことはわかっている。じゃあこの二人をどうやってつなげる?
教師の都合で無理やりつなぐのでなく、どうやったらそれぞれが自分の力でつながり合っていける?
仮面をはずした人としてコミュニケーションできれば「いい先生」と言えない?
子どもを大切にする。子どもを手段にしない。
「よい授業をするのがよい先生」となると子どもは手段になってしまわない?
大切にするとは手段にしないということ。
断捨離からのスタート
「子どものために」という言葉は断捨離しませんか?
自分が自分らしく育てばいい。
子どもに「自由っていいよ」って伝えたいなら大人が自由でなければ。
自分は学校という場で自由に楽しめているか?
大事なのはどう行動するか?
いい先生にならなきゃと思ったらしんどい。
反対に捨てるものを決めて行動したら?
大空小のスタートもそうだった。
「いい学校つくろう」って言っても何も出なかった。
残念ながら「いい学校」の経験値をもっていないから。
「こんな学校だけはやめよう」っていうのを出し合ったらぶあーって出てきた。100項目くらい。残したいものは?ひとつもなかった。全部捨てた。捨てたらなくなる。なくなったらつくらなきゃならなくなった。
だからみなさん捨てませんか?
ゴミ箱じゃだめ。拾うから。シュレッダーにかけなきゃ!