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本音をさらけ出せ!

〜エドカフェ No.1「きょういく」の、木村泰子さん(映画「みんなの学校」の校長先生)のお話をまとめてみた〜

「みんなの学校」とは?

みんなの学校っていうのは、全国のパブリックの学校のこと。
(パブリックとはみんなのものということ)

だから特別な学校じゃない。

学力、いじめ、不登校、保護者対応・・・学校の課題はいろいろあるけど、
パブリックの学校が唯一やらなきゃならないこと(理念)は・・・

すべての子どもの学習権を保証する

みんなの学校はその学校に足を踏み入れて学ぶ人たちみんながつくる。

みんな・・・子ども・保護者・地域住民・教職員

みんながつくるみんなの学校=自分がつくる自分の学校

みんなの学校(大空小学校)ができるまで

教室が足りないマンモス校があり、新しい学校をつくろうとしたが、地域格差の中、新しい学校へ行くのを嫌がる地域住民がいるため、20年間揉めていてできなかった。しょうがないから新しい校舎をつくり、5、6年生だけ通うという分校制度に・・・

20年間分断されてくる中、その空気を吸って育ってきた子どもたち。職員も闘争していた。

そこへ赴任した木村校長は思った。自分がずっと教員として勤めてきた街で、大人になった人たちが、こうして分断している。人権教育やったつもり。差別なんてさせない。どんな子もいっしょに学ぶ。そういう教育をしてきたつもりだったけど、その結果が目の前にある・・・


初めての赴任挨拶で、「この分校を新しい学校として独立させましょう!」

と、とんでもないことを言った。しばらくだれも何も言わなかった。このまま「校長がそう言うならしかたないな」で終わっていたら、はだかの王様になるところだった。

1人の先生が言った。「今言った言葉は校長命令ですか?」

「よく言ってくれた!」
「でも、どうしてそう言ったか聞いてくれるか?」とそこから先生たちと本音トークが始まった。

大きい学校の分校だった学校が、大空小学校として開校した。「あっちの学校へ行くな、行くな、」と言い続けてきた家庭の子どもたちが不安いっぱいに集まった。

そんな子どもたちを前に、「これからいい学校をつくろう!」としているときに、

突然、5年間学校へ行っていないという重度の自閉症の子が乱入してきた。

大空小学校のスタートはとんだハプニングとなった。


困っている子のまわりの子を育てる

大空小学校は、「こんな子きたら困る」「満員御礼!」「あーきちゃった・・・」「しょうがないな・・・」そんなことの連続だった。

困る困る困る・・・って・・・
困っているのは私たち職員?いや、困っているのはその子自身。

自分がこの子だったら困るよな。どうしたら困らなくなるかな。ってまわりの子を育てていくうちに困っている子が困らなくなった。

「この子なんで逃げると思う?」「なんで暴れると思う?」

その子をどう育てたらいいか?とかは放っておいた。

その子が安心していられる教室をつくる。その結果不登校ゼロに・・・

子ども同士をつなぐ そのためにまず子どもと対話をした。

職員室でも毎日対話・・・対話・・・対話・・・


学級担任制をやめた!

5年間学校へ行っていなかった転校生2名が、学校に通うようになって、一年後元気に卒業して行った。

翌年、困っている親たちが引っ越してきて子どもを入学させた。28人の中に重度の手帳をもっている子が10人になった。入学式の直前に突然来るから加配などもらえない。10人逃げたら10人手が必要。そのときはまだ学級担任制だった。

校長裁量で二つに分けたけど、14人中5人逃げる子。ベテラン2人が受け持ったが無理だった。今まで培ってきた能力は通用しない。

2人のベテラン担任に聞いた。「どうやったら困らない?」

「みんなで見てくれたら気が楽・・・」

・・・というわけで、保護者がサポーターとして来るようになった。

そして・・・

担任制って・・・
自分の組だけよくしようとがんばっちゃうよな。
しんどい子を受けもったらしんどい。先生のいうこと聞いてくれる子ばかりなら楽。

こんな学級の当たりはずれみたいな制度はやめよう!

保護者から見ても、◯◯先生なら当たり!××先生なら1年我慢!みたいな悪しき文化は断捨離しよう!

先生がいい学級経営して、「いい先生!」って言われるのを目的にするような制度はやめよう!

それより、目の前の子が安心して、「おれの学校いい学校!めっちゃ学校好きやねん!」ってなるようにしよう!

「担任」をやめて「担当」にした。
たまたまこの授業をしている担当。
どうもうまくいかないと思ったら誰かにバトンタッチ→シャッフル授業

低学年チーム 中学年チーム 高学年チーム で動いた。  

それでもダメなら他の職員
この子が困らなくなるには誰がいいだろう?と考えられることを先生たちの評価基準にした。

ある日外で遊ぶ子を眺めながら「私の前で笑わない子が別の人の前であんな笑顔になっている。いつのまにかそれを喜べる自分に変わっている。」と話してくれたベテラン教師の言葉が印象に残ってる。

担任なんてやってる時代ちゃうで!
自分が困ったら誰なら困らないか考えて活用できる力が必要!


学びは本音をさらけ出すところから!

スタート時に乱入してきた子のことを「この子邪魔!と思った。」と後になって話した時、同僚の顔色が変わった。「あそこまで言う?もうちょっとごまかしてもいいんじゃ・・・?」

これは自分が変わる覚悟。

本音をさらけ出す!それがリーダーとしての行動。
「こうします」といくら言っても信じてもらえない。行動(事実)が伴わなければ。何を行動するかでしか人とはつながれない。 

カリスマ?ありえない!そんな言葉で事実をごまかしていたら、人と人はつながれない。そんなのは洗脳。人は洗脳が解けたとき、洗脳した人を恨む。

みんないっぱい鎧をかぶってる。脱いだら不安。玉が飛んできて当たる。わかる・・・でも・・・
子どもを信用して、同僚を信用して、チーム力でカバーできる!

先生たちは自分たちがなんとかしなきゃいけないとがんばってしまうけど、どんなに授業スキルを磨いてその子を説得しようとしても無理。

ありのままの自分を出さなかったら、1ミリも学べない。1ミリも自分は変われない。
学ぶって自分を変えること。


指導という二文字を捨てた!

先生の指導力なんてクソの役にもたたん。

だから指導という二文字を捨てた。

先生の仕事は子ども同士をどうつなぐか?

映画を観た人はみんな勘違いする。
校長のリーダーシップでできていると思われる。
「校長頑張れ!」と、現場の校長へ矢が飛んでいく。
「頼むからあの映画やめてくれ」と言われる。

でもそれは全然違う。

校長しか映っていないからそう見えてしまうだけ。
他の人たちはみんな映りたくないと拒否したから映っていないだけ。

「こいうことしたい」とか「こういうことしよう」とかなにもない。

「すべての子が安心していられる学校にするには?」
「そのためには何したらええねん?」

ただそれだけ・・・





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