見出し画像

生きる力とユーモアの関係

教育系の取材記事で、必ずといっていいほど「〇〇力を育てたい」という話題に出くわす。今の旬は、思考力・判断力・表現力といったところ。

これらの土台にはおそらく、きっと文部科学省が提唱する「生きる力」が関係している。ところで「生きる力」ってなんですか?まどろっこしい説明じゃなく、ピンポイントで答えて!と言われると。

うーーーーむ、分からん。けれども過去に、「生きる力」を感じたことはある。


「ネタにする」発想


「お前って、ほんまデブやなぁ」

聞いた瞬間、息が止まるかと思った。教育実習中の給食時間、子どもたちと一緒にご飯を食べていた私は、口に含んだスープを吹き出しそうになる。

「絶対アウトやろ」「Aくん(言われた子)大丈夫かな」などなど、あらゆる思いがスピーディーに頭をかけめぐる。

「容姿のことを言ったら傷つくんやで」

セリフを頭に思い浮かべ、ゆっくりと深呼吸。意を決してBくん(言った子)に注意しようとしたとき、まさかの言葉が返ってくる。

「せやねん、オレんちな、みんなデブやで」

ドッと、笑いがあふれる。
多分、私はあぜんとした顔をしていたと思う。

Aくんは、ツカミはOKってな表情で、

「おとんもデブやし、おかんもデブ。ほんで姉ちゃんもブタやねん」と続ける。班のみんなは爆笑。

いやいやAくん、ブタまでは言ってへんから。

私と同様、言葉を失うBくん。からかって落ち込ませようとしたのに、相手は全く動じていない。想定外の反応に動揺を隠せない様子だ。というか、ちょっとウケている。

と、そのとき

「というわけやから、お前のみかんちょうだい」と、すかさずBくんのみかんに手を伸ばすAくん。

「う、うん、ええで」

勢いに飲まれたのだろう。Bくんはあっさりと承諾する。

相手の言葉に傷つくどころか、笑いにしてさらにみかんまでゲットしている。予想外の展開に驚きながら、「生きる力」を見た気がした。

「笑い」はメンタルクッション?

某お笑い芸人のコントに、学ばされたことがある。「死ね!」と怒鳴られた瞬間に、相手よりも大きな声で「生きる!」と返すシンプルなもの。

シンプルだけれど、なかなか深いと思う。

マイナスな言葉を真に受けず、プラスに転換する。失敗したときに「ああ、私はアカン」と思わずに「よっしゃ、ひとつネタができた」と切り替える。

ユーモアは、心のクッションになりうるのではないか。

そんなことを考えつつ、夫にモノ言うときも「笑い」に包んでいることに気づく。ユーモアは言葉をマイルドにするから、ギスギスしないでぶっちゃけトークができる。

我が夫婦、ユーモアの恩恵を受けまくっているなぁ。






いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集