読書体験の再定義
モノよりコトだ!体験だ!
そんな言葉をたくさん聞いてきた。音楽業界はモノからコト、体験に変わって、CDよりもライブが重要だなんて話も聞く。
では、本にとっての体験はなんだろう。
著者の講演?セミナー?握手会?サイン会?読書会?
すぐに体験らしきものが思い浮かんだ。
でも、それらを音楽業界のモノからコトへの変化と比べたとき、ほんとうにそれが本の体験なんだろうか?と疑問が浮かんだ。
そもそも、読書という行為は、本の体験そのものだ。ひとりで体験するものだ。
同じ本を、一緒にページをめくって読むことは難しい。
読む速さも、理解する時間も、ひとり一人違う。
音楽のような一緒に体験するというものは、本にはない。
だから、本の体験は、アップデートもないのだろうなと思っていた。
最近、その認識が変わってきた。
友達の紹介やネットで見つけた読書会に参加してみたり、自分で読書会を企画してみたりすると、読書という体験が、違って感じるようになってきたのだ。
読書会では、参加者どうし、感想を語る。
好きなこと、おもしろかったこと、心が動かされたこと。気がつくと、自分の課題や関心と結びついた話をしている。
実際に参加してみて感じたのは、その言葉にする過程と、それを共有すること、そのものに大きな価値があることだった。
言葉にしてみて、感じたことを再発見する瞬間。口にすることで、「わかって」いなかったことを発見する瞬間。自分は、なにに関心があるのか、なにを課題に思っていたのか、見えてくる感覚。他の人の話を聞いて、浮かび上がる新たな視点。共感で生まれる嬉しい感情。
読んで感じたことを自分の言葉にしようとする行為が、本の理解とおもしろさを深めるのだ。
つまり、読書体験とは、
単に本を読む行為そのものだけではなく、
本を読んで、感じること、それを言葉にすること、行動すること、その行為全体が、読書体験なのではないか。
本を旅に例えるなら、読む過程が行きの過程だ。目的地の景色は美しいし、たどり着いた気持ち良さがある。
そして、自分の言葉にすることは、帰りの過程だ。始まりの場所まで戻ってきて初めて感じる、現実との差異や旅を経ての自分の変化。
物語のヒーローが、困難を乗り越え、最後、故郷に訪れ、自分の変化や成長に自覚的になるあの瞬間にも似ている。
旅の帰り道の設計。読書会は、読書体験をアップデートする体験の場になりうるのかもしれない。
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