口ぐせが思考をつくっている
会社で先輩と話をしていたとき、ふいに
「いとうくんってめっちゃ「難しい」って言うよな」
と言われた。
他者になにか指摘されたとき、反発したくなることがある。違うよと。でも、この指摘には、イラっとすることも、反論することもなく、ただただびっくりしてしまった。まったく自覚のないことだった。
その日ぼくは、自分の発する言葉に注意が向いた。話しながら、「こんな言葉遣いをしているのか」「こんなリアクションするのか」と発見の連続だった。
たしかに、たくさん「難しい」と言っていた。ごく自然に、無意識に何度も発していた。
解決案を議論しているときに「難しい問いですよね」と感想を言い、誰かの意見に共感するように「難しいですよね」と言い、「難しいので…」と決定を保留しようとしていた。相槌にも言い訳にもつかっていた。
自分の発言を一歩離れて見てみると、自分自身が滑稽に見える。ぼくは、シンプルなことがらを「難しい」と捉えることが多いのかもしれない。複雑であると思うことで、それを解決できるほど賢くありたいと思っていたのかもしれない。「難しい」と思うことで、問題を直視するのを避けていたのかもしれない。
口ぐせが、ぼくの世界の捉え方をあらわしていた。口ぐせが、ぼくの思考をあらわしていた。
言われた方はどうだろう。自分の発言によって、難しいという印象を与えられ、行動を狭めるかもしれない。発言者に対し、自信がないように感じるし、任せても大丈夫かと不安に思うかもしれない。
「難しい」という口ぐせに、いいことはなにもない。だから口ぐせを変えようと思う。ぼくは「難しい」のかわりに……
……と、ここまで書いて、「いやでも口癖をすぐに直すのは難しいから…」と書きそうになる。言い訳がましい自分だ。
いつも自分が自分の邪魔をするのだ。変えたいと思いながら、すぐに変わるなんて難しいよと、ぼくは根本のところで思っているのだろう。でも、その根本を変えたいのだ。
もっと軽やかに考え、行動したい。ぼくは変わりたい。だから、難しいと思う自分と見つめ合いながら、口ぐせを変えていこうと思う。難しいと言いそうになったら、おもしろい!と言い換える。口に出す。そうやって、少しずつでも前進していきたいと思う。
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このnoteも毎日、毎週文章を書くのは、「難しいよね」と言い訳して行動しない自分との戦いだった…
口ぐせは変えられる。思考も行動も変えられる。そう信じていくことにする。そんなの簡単だ!
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このnoteを書きながら、自身を抽象化する考えや、言葉が自分の捉え方や思考に影響するという考えは、以前読んだ本の内容と似ているなと思い、参考図書として紹介したい。
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