ひとことで、人生は変わるのか。
「怪我なく終わりましょう」と、チームのキャプテンが言ってから始まったバスケの試合。会社のメンバーで出場した大会で、今日の試合相手は強敵だった。だからぼくは第4クオーターまでベンチで声を上げ、勝てるよう祈っていた。ただ残りの時間と点差を考えると、難しそうだと判断したのか、「最後、思いっきりやってきて」と交代して試合に出ることになった。思い出づくりの出場。残り1分。負けるとわかっていても諦めたくない。気持ちが先走ったのか、込み入ったところに突っ込んでしまった。
味方とぶつかり、膝を痛めた。
大したことはないと思いながら、ぼくは試合に出て数十秒で交代することになった。
気持ちよく終わるはずの大会に、後味が悪いことをやってしまったのではないか。出場させたことを申し訳なく思わせてしまったのではないか。
「怪我なく楽しく終わりましょう」の言葉が頭にこだました。
周りに迷惑をかけたことに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
しばらくして、情けなさと、なぜ自分がという気持ちが襲ってきた。試合にも影響しないたった数十秒の間でなぜこうなったのか。なんであそこで突っ込んでしまったのか。どうして膝に当たったのか。数分の数分前には痛みもなく普通に歩けていたのに、なんで今痛いんだ。
このまま手術が必要になったら、あの数十秒をどう受け止めればいいんだ。
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『幸福優位7つの法則』の中に、似たような事例が載っていた。たしか、「入った銀行に、銀行強盗がやってきて発砲した。命中して、右手を負傷した」ことをどう認識するかという話だった。ある人は「なぜ私が打たれなければならないのか」と言い、ある人は「命が助かって良かった」と言う。事実は同じだけれど、どう認識するかで、その後の幸福度も、行動も変わるという。
ただ、実際自分がたまたまその状況になってしまった今、怪我の回復への不安、治療費の不安、もっと言えば、同じチームにいた人たちが嫌な気持ちにならないだろうか、そんな気持ちが先行する。この怪我をどうよく捉えるのがいいのかまるでわからない。
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病院に行き、検査はまた後日になった。
痛みが強くなってきた足を少しひきづりながら映画を観て、そのあと結婚指輪を買いに行った。
入籍はしたが指輪がまだだった。先週お店で相談し、今日購入の手続きをする予定だった。
まさかこんな膝を怪我するとは思ってもみなかったから、この偶然の不幸と、奇跡的な幸福の狭間で、ぼくは不幸を選択していた。
こんな日に限ってなぜ? なんであのときそうしたの?
過去に向かって一直線だった。
「旦那さん、どうされたのですか?」
指輪の購入手続きがすみ、気を遣ってくれたのか担当の方が質問してきた。
数十秒の悲劇を話し、苦笑いをしていると、担当の方は想像以上に声を上げて笑い、こう言った。
「すごくいい思い出ですね。指輪見るたびにこの日のことを思い出しますよ。あのとき情けないかたちで怪我してたねって。指輪の思い出1つできましたね」
救われた。これは不幸な出来事ではない。
これから先の人生の中で考えたとき、こんなにネタになる話はそうそうない。情けないけど数十秒で怪我したなんて、しばらく酒の席で話せる。
しかも、妻との思い出にもなる。
きっと、この怪我のおかげで気がつくこともたくさんあるだろう。いい機会にしよう。
たったひとことで、思考が大きく転換した。
たしかにね、想像以上に大変になるかもしれないし、検査の結果が怖い。チームメンバーのみんなには申し訳ない!
だけど、それも人生だ。笑われたって、苦しくたって生きてやる。
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