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30歳。誕生日にホグワーツからの便りはなかった。選ばれる人生から、選ぶ人生に。

7月31日、30歳になった。
『ハリー・ポッター』の主人公ハリー・ポッターと同じ誕生日であることを知ったときから、誕生日の話題になったときには必ず、

「ハリー・ポッターと同じ誕生日なんだよね。いまだに、ホグワーツからの入学許可書が届かないけど」

と話してきた。(ウケを狙うのだが、あっそうと鼻で笑われて終わる。)

もちろん本気で思っているわけではないが、どこかそれを期待している自分もいる。もしかしたら、本当に手紙が届くのではないか。
今年は30歳の節目だ。フクロウが届けに来るかもしれない。
誕生日当日、朝、家を出る前と、帰ってきたときは入念に郵便受けの中を覗き込んだ。
果たして、小さな郵便受けには、ちかくのジムやピザ屋のチラシ、水道工事のマグネットしか入っていなかった。

わたしは、ホグワーツに、選ばれなかった。
わたしは、「選ばれしもの」になれなかった。

ホグワーツからの便りなんて来るはずがない。わかりきっていた。
でも、どこかそれを期待し、信じたい自分もいた。
自分には才能があるのではないか。
偉大な人物に才能を見出されるのではないか。
その才能を磨き、世界に影響を与える仕事ができるのではないか。

「ホグワーツからの便り」は、わたしの中にあった、「選ばれたい」という願いそのものだった。パッとしない現状への不満だった。
30歳の誕生日の日、ぼくは、「ホグワーツからの便り」を願う気持ちの正体に気がついた。
心のどこかで、ずっと「選ばれる」ことを待っていたのだ。

30歳だ。そろそろ「ホグワーツからの便り」を待つのを辞めよう。
自分の人生を変えるのは、誰かではなく、自分だ。
選ばれるのを待つ人生から、選ぶ人生に変えよう。
そう強く思った。

***

「選ばれる」ことに敏感な中学生時代だった。
「選ばれる」ことは、誰かと比べて優れていることを示し、誰かより上であることだった。「選ばれない」ことは、誰かと比べて劣っていることであり、下であることだった。

中学校のサッカー部で、ぼくはレギュラーに選ばれなかった。地域の練習会にも選ばれなかった。
ずっと誰かと比べて、下手なほうであり、誰かと交代するほうだった。
チームの目標に、正直言えば、本気になれていなかったし、輪にもうまく入っていなかった。仲間外れになったような疎外感でいっぱいだった。
自分は劣っているのだと、価値がないのではないかと苦しかった。
そして、ぼくは妬んだ。
選ばれたものたちの、才能、明るい性格と自信、
クラスの話題の中心にいて、自由に発言し、行動し、
女子からもモテることを、陰ながら、ずっと妬んでいた。

だから一層、試験でいい成績を取ったときや、先生に褒められたときは、選ばれた優越感に浸った。上であることを確認し、喜んでいた。
自分の存在価値を実感していた。
相手を「下」だと認定したときは、すこし馬鹿にした物言いをすることもあった。

選ばれたときは、自身の努力や、やってきたことを理由に感じていたが、
一方で、選ばれなかったときは、選ばれたものの才能や、環境、選ぶ側の好みといった変えられないもののせいにしてきた。
ぼくは「選ばれたい」と思う一方で、「選ばれる」ための分析も努力をせずに、そこそこやって、待ち続けていたのだ。

***

15年ほど前の、あのときの感情と思考のクセは、ずっと根底にあって、ふとした瞬間にあふれ出す。
学業、サークル、友人関係、恋愛、仕事…些細なことでも「選ばれる」状況に常に意識が向いてしまう。
上と下、選ばれるものと選ばれないもの。その区別が思考が支配する。
自分は今どちらか。
選ばれないのではないか、下だとみなされやしないか。
自分は上にいるのだ。選ばれているのだ。
言葉には出さないが、根っこにある感情はこれだった。

ぼくは、たいした努力もせずに「選ばれる」のを待っていた。
その象徴的なものが誕生日の「ホグワーツからの便り」だった。

誕生日の夜、その感情の根っこに触れたとき、
「選ばれない」のは「選ばれる」ことを願う感情に、原因があることに気がついた。
その感情は、「行動しないこと」を自分に選ばせる感情だった。
心地よくて安全な「この場」に自分をとどめさせる感情だった。
すべての原因を、自分ではなく、環境や選ぶ側のせいするものだった。
技術や能力は、生まれ持ったものであり変えられないものだと思わせた。
自分では、決められないものであると思いこませていた。

…このままでいいのか? 郵便受けの中を覗き込みながら、そんな思いが爆発した。
マーケティングを勉強して、もっと本を届けたい。
この先、編集者として、本をつくりたい。世界はおもしろいと思いたいし、伝えていきたい。
このままでいいのか? よくないな。よくないよ。
選ばれるのを待っていていいのか? よくないよ。

ホグワーツからの便りはこない。
そんなものはあきらめて、
自分で選び、自分で決めて、自分の人生を歩もう。

30歳、がんばります。


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