広島の高卒野手育成の特徴とは?
今季広島には、小園海斗・林晃汰・中神拓都・羽月隆太郎の4名の高卒野手が入団しました。
近年では、3名高卒野手が一挙に加入することはありましたが、4名まではなく、非常に珍しくまた将来性に賭けた指名であると言えましょう。
また、丸佳浩や鈴木誠也など近年のチームの躍進の核となった選手を高卒指名選手から輩出していることから、ある程度育成には自信があり、かつ今後のチームの核として育成していこうという意気込みも感じます。
そんな中気になる点としては、現在一軍帯同中の小園を含めた上記4選手をまずは二軍でどのようにして育成していくか、という点になってくるのではないでしょうか。
その二軍での育成の特徴について、広島の高卒指名野手の過去の二軍戦出場の傾向等から解き明かしていこうと思います。
1.過去の高卒野手の出場試合数の傾向から読み解く
まず、過去の高卒野手の二軍戦への出場数をチェックしていくことで、育成法の特徴に迫っていきます。
データの確認できた1995年以降の高卒野手の二軍戦出場機会と成績をまとめたものが表①と表②となります。
選手/期間の抽出としては、1995年以降に入団した高卒野手の1年目~3年目の成績から抽出しています。
出場機会の傾向としては、1年目は出場機会は然程多くなく、2年目・3年目と年を経るごとに出場機会を増やしていくような傾向が見て取れます。
おそらく、最初の1年は体作りと称して、試合に出場するよりは根本的な体力面やフィジカルを磨き、プロとして1年間戦える体力を養っていくのでしょう。
しかし、そのような傾向はある年を変化点として見えなくなっており、1年目でも構わず試合に出場する選手が増えています。
その年とは2010年であり、堂林翔太・庄司隼人・中村亘佑の3選手が高卒野手としてプロ入りし、かつチームとしてはM・ブラウン政権から野村謙二郎政権へと移行した年になります。
ドラフト2位で入団した堂林は主に三塁手として100試合に出場し、ドラフト4位指名の庄司も内野複数ポジションをこなし65試合に出場しています。
それ以前にも、1998年にドラフト2位入団の兵頭秀治が100試合に出場し、2001年にはドラフト4位入団の甲斐雅人も66試合に出場した履歴はあり、それ自体は非常に珍しいことではありません。
しかし変化点としている通り、それ以降高卒野手の1年目の出場機会が依然と比べても非常に増えており、坂倉将吾が99試合、鈴木誠也が93試合、中村奨成が83試合と明らかに出場機会が増えています。
簡単にデータで比較すると、2010年以前は高卒野手1年目の平均出場試合数は33.4試合なのに対し、2010年以降は57.2試合と明確にその試合数は増えていることが分かります。
野手にはとにかく多くの打席を立たせるという他球団の育成方針を模倣したのか、野村政権への政権交代に伴い、以前は江藤智や前田智徳といった高卒野手を早々に抜擢し、チームのコアまで育て上げたとの実績から、若手にどんどん経験を積ませる方針に転換したのかは定かではありませんが、チーム内で明らかな方針の転換があったことは紛れもない事実でしょう。
以上より、今季入団した4選手もOP戦や教育リーグで既に出場機会を得ていることからも分かる通り、上記方針に則って試合にどんどん出場させる方向で育成は進んでいくのでしょう。
2.高卒下位指名野手への幻想
高卒野手の1年目からの出場試合数増について上記にて確認しましたが、近年の入団後3年で多くの出場機会(200打席/年)を得ているのは、当然ながらドラフト上位指名(1~3位)選手、もしくは下位指名(4位指名以降)ながらもプロの世界で適応を見せている選手や二遊間をメインポジションとする選手となってきています。
近年(2010年以降)にて具体例を出していくと、ドラフト上位指名選手には堂林・高橋大樹・鈴木・中村奨が当てはまり、下位指名で出場機会を得ているのは庄司・美間優槻・桒原樹・坂倉という上記の条件に当てはまる選手たちです。
それ以前に出場機会を得ている選手を見ると、ドラフト上位指名選手では朝山東洋・兵頭・東出輝裕(二軍の出場試合数は多くないが1年目から一軍で200打席以上に立ち、翌年からは遊撃手のレギュラーとして定着)・栗原健太・鈴木将光・安部友裕・丸佳浩が当てはまり、下位指名ながら出場機会を得ているのが伊与田一範・福良徹・岩崎智史・末永真史・甲斐雅人・天谷宗一郎・松本高明となっています。
気になるのが、2010年以前においては表①・表②を見て分かる通り、下位指名選手で然程可能性を感じるような成績を残していないにも関わらず、出場機会が増えているor指名順位に関わらず比較的満遍なく出場機会が与えられている点です。
ここには、高卒下位指名野手への過信があるのではないかと推察します。
今回、高卒野手のデータとして集計できた1995年以前には、1988年ドラフト5位指名の江藤智、1989年ドラフト4位指名の前田智徳と言う後のタイトルホルダーであり、チームのコアとなるような選手をドラフト下位にて獲得・輩出に成功していました。
そこから、下位指名選手でもコアレベルの選手の育成が可能であるとの過信が生まれ、下位指名選手にも多くの出場機会を与え、育成を図るようになったのではないでしょうか。
誰もが誰も江藤や前田のようになれるわけではなく、そのような選手は一握りであることを忘れて、自軍の育成能力を過大評価してしまったのでしょう。
その結果は言うまでもありませんが、大きな成果を上げることなく、一軍で戦力になったのは天谷くらいで、チームのコアとなる野手を育成することはできませんでした。
その辺りが、1990年代を支えた強力野手陣の後釜を作ることが出来ず、長期低迷を招いた一因にもなってしまったのではないでしょうか。
しかし、上記のような反省を生かしたのか、2010年以降は上位指名野手や素質の片りんを見せる選手や二遊間をメインポジションとする経験の必要な選手にはキチンと経験を積ませ、逆に下位指名で獲得した選手の中には出場機会に恵まれない選手もいるなど、方針を一変させています。
1章のような方針に至ったのには、上記のような変遷を経ての流れだったのかもしれません。
3.まとめ
広島の高卒野手育成手法をまとめると、
①近年は、多くの球団が実施している、体づくりに専念というよりはとにかく試合に出場させて経験を積ませる方針
②以前は下位指名選手にも比較的平等にチャンスを与えていたが、近年では方針を改め、上位指名選手もしくは二遊間をメインポジションとする選手や素質の片りんを見せる下位指名選手に多く出場機会を振るようになっている
となっています。
2章のような幻想に取りつかれた背景としては、この当時逆指名・FAの時代に突入し、資金的に苦しい広島が光明を見出したのが猛練習による叩き上げ選手の育成であった、という点も少なからずあったのではないかと感じます。
「育成の広島」という看板に囚われ過ぎて、本質から目を逸らした結果が25年にも渡る長期低迷だったということでしょうか。
少し話は逸れましたが、今年の高卒新人4名は小園を筆頭に粒揃いであり、現に出場機会も多く貰っている通り、上記のとにかく出場機会を与える方針で育成が進んでいるため、今後の成長具合には大きく期待したいところです。
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