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ある日の葬儀

N氏が亡くなった。
N氏はある事業をされているのだか、
仕事中に急に倒れてその夜に亡くなった。
つい1週間前の会合でお会いしたばかりなので、
本当に驚いた。

私はN氏の職場関係者として、
通夜と葬儀で帳場(受付)を担当しなくてはならない。
寒い寒い日の夜、
葬儀会場に行き帳場に立った。
帳場からはN氏の生前の写真が大きなモニターで流されているのが見えた。
鬼のコスプレをしたり、お子さまや奥さま、スタッフや同業者との写真はどれもとても楽しそうな笑顔で、見ているとこちらも涙が出てきた。
そうだな、確かにいつも笑顔の印象しかないな。

とても仲良しの奥さまを数年前に亡くされたので、
喪主はお子さまだったのだが、
ご兄弟もとても仲が良いように見えた。

通夜では紙が配られ、
般若心経をみんなで読んだ。
何度も通夜に出ているが初めてのことだったので驚いた。宗派によって違うのだろうか。

通夜が終わり、次の日の葬儀。
この日は僧侶が2名である。
小さな鐘をチーンと鳴らしながら入場してきた。
読経が始まり、いきなりカツーンと棒でなにか硬いものを叩く音がして、その後2名の各パートに別れた声、ガシャン、バサ、などなどいろんな音がしてきた。一番後ろに座っているので、何も見えなくて残念なのだが、いったい前ではなにが行われているのか。そもそもこれに楽譜のようなものはあるのか。

私はハッと気づく。
これはライブなのではないか、
そうか、僧侶による葬送のライブだ。
この音とハーモニーで故人を送り出すのだな。

その後2人のハーモニーが高まり、最高潮になる。
お坊さんの声はどちらも本当にいい声だ。
葬儀には赤ちゃんも来ていて、少しグズっていたのだが、なぜかハーモニーに合わせるように「あーうー」というグズりになり、
それがまた読経にいい影響を与えて、会場の空気がほんわか柔らかくなっていた。

やがて焼香の時となり、
スタッフが皆を案内する。
しかし毎回思うのだが、葬儀会場のスタッフは焼香のタイミングがなぜわかるのだろうか。
毎日読経を聴いていると「大体この辺」がわかるようになるのだろうか。
どちらにしても素晴らしい対応力である。

やがて読経は終わり、
僧侶2名は小さな鐘をチーンと鳴らしながら退場された。
その後、ウチの職場の会長が
N氏とのエピソードを盛り込んだ
かなり見事な弔辞を読み、
私含め結構な人が目頭を押さえた。

最後に喪主様のご挨拶があり、
「いつも笑顔の父だったので、私たちも父を明るく笑顔で送り出そうと思います」
とおっしゃっていた。
実はN氏は奥さまの3回忌の法事の翌日にお亡くなりになったとのこと。
「今は仲の良かった母と一緒にいると思います」
帳場から見えたモニターで映し出されていた、
お二人のにこやかなお写真を思い出す。
うん、絶対そうだね。
眠っているN氏の懐には奥さまの小さな写真が挟まれていた。

Nさん、今まで本当にありがとうございました。
御冥福を心よりお祈り申し上げます。

(了)












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