続・本当に怖くない猫の話 part.5
番犬をする野良猫
猫に好かれすぎて困っている。
猫のせいで婚期を逃してしまいそうだと真剣に訴えてきた女性はまだ20代であった。
実家は資産家だが、大学を卒業して後はよほどのことが無ければば援助をしないと言われている。
大学卒業後は、ずっと派遣社員。収入が少なくとても猫3匹も養う余裕がない。今の2匹だって手いっぱいなのだ。
しかし、まだ後一匹家に入りたがる猫がいる。
その猫は最も健気で、彼女が帰宅すると、いつの時間も必ず玄関先で待っている。
その猫にほだされてしまいそうだが、健康状態が良さそうな様子から、もしかしたら近所に飼われている猫かもしれないという希望もあって、踏みとどまっている。
しかし、このままでは猫たちのために親が結婚式にと貯めてくれているお金を前借りしたいと頼んでしまいそうだった。
本当は、結婚相談所の会費も猫たちに使いたいと思っている。結婚して、収入が安定すれば、猫たちにだって今以上に不自由のない生活をさせてあげられる。猫好きが集まる結婚相談所であれば、猫と一緒に暮らしてくれる伴侶が見つかって、一石二鳥だと親に説得されて、しぶしぶ登録したが、あまりに好条件の人たちが集うところで気後れしてしまっている。自分には分不相応だ。
しかし、今のままでは自分が望むような猫たちとの穏やかな暮らしが望めないこともわかっている。
彼女の正直な話は、さながら結婚相談と言うよりは人生相談のようだった。
果たして、自分は猫のために生活が不自由になっているのか。それとも猫のためにもっと裕福な暮らしを望んでいるのか。そんな彼女の悩みに思いのほか、共感できる自分が何でも屋も不思議だった。
できれば、愛着の湧いて居るその猫を自分の猫にしたいけれど、すでに2匹の猫がいる。猫たちとの相性もある。その2匹を手放せないのだから、玄関先の猫には他に飼い主を探してもらうことが1番なのだ。
しかし、彼女は何でも屋に外の猫に飼い主を探してやって欲しいとは言わなかった。口では追い払えずに迷惑していると言うだけで、また、2匹の猫の世話で精一杯で、十分な婚活をする時間も、結婚のための資金も、転職活動してスキルアップする気力もないと悲しげに項垂れるのだった。
猫を言い訳にするくらいなら、猫を手放せばいい。そう切って捨てたアドバイスをすることは簡単だった。しかし、何でも屋は初対面の自分より若い人間に偉そうに説教する気持ちにはなれなかった。
自分だって、安定した収入が見込めないうちに、成り行きとは言え、子猫を引き取って買うことになった。さらに、今は依頼人のなついてくれる猫も増え、2匹ないし、3匹猫を飼っているような状態だ。
「わかりますよ。猫を飼うに、自分がふさわしい人間かと思う事は、自分が誰かの結婚相手にふさわしいかと悩むことに似ていますよね」
その女性に、自分の境遇を重ね合わせて、何でも屋はつい相手の話に相槌を打ってしまった。すると、共感が得られたことで箍が外れるしまったのか。女性は、何でも屋に対して延々ととりとめのない愚痴をこぼし始めた。
何の事は無い。外にいる猫のことを心配と言いつつ、彼女の心を不安にしているのは、職場の環境が自分に合わないのではないかとの悩みが一番原因として大きかった。
仕事にやりがいは感じているが、正直周りから評価されている気はしていない。正社員にしてもらえる話がないのだから、実際彼女の感じている通りなのだろう。
しかし、転職するには、職場に愛着がわきすぎている。また、就職活動が苦手な彼女にとって、前の就職活動から、数年も経たずに、新しい職場を探す事は苦痛だった。
契約社員という手立てもあるが、今の派遣の形式の方が休暇も取れて収入もいい。派遣先を変えてもらえば良いのだが、そうしてもらえる予定がないのが彼女を苦しめていた。
「父の知り合いの職場に口を聞いてもらったり、両親の知り合いの人の誰かを紹介してもらって、結婚するのも嫌なんです。自分が営業の仕事に向いているとも思えないし、紹介してもらった人が合わなかったとして、うまく断る自信もないです。それに、知っている人から断られるのも傷つくでしょうから、結婚相談所でまず断られてみるのが妥当な手段だとは思ってます」
彼女はこだわりが強そうなところもあるが、一方では卑屈だった。自分に自信がないのは、これまでの人生がうまくいっていないのもあるだろうが、積極的に人と関われる性格でないことも影響しているのだろう。
対人関係が苦手だから、人と関わることに関して、どうしても自信が持てないのだ。その気持ちは何でも屋もよくわかる。まるで自分を映す鏡のようだ。
何でも屋はついその彼女に懐いてるいるらしい猫を彼女が住んでいるマンションの玄関先まで見に行くことを約束してしまった。その上で、捕獲できれば、自分が面倒を見るようなことも言ってしまったのだ。なんでも家が引き受ければ、彼女が結婚相談所の会員である間は、相談所にその猫を連れてくれば、彼女は今後もその猫に会うことができる。
しかし、毎日玄関先で彼女の帰りを待っているとの説明だったその猫は何でも屋が三度訪れても姿を現さなかった。
10日ほど姿を見せず、ご飯を食べられているか心配していたところ、フラッと以前よりは痩せた姿で現れたらしい。しかし、その猫はほとんど彼女に触らせないので、病院に連れて行くことも叶わなかった。
今のところ、健康に重大な問題がなさそうではあるものの、痩せた姿を見て、彼女もようやく踏ん切りがついたのか。ぜひ捕獲して、飼い主を探してやってほしいと言い出した。
しかし、そうと決まると猫の方も何かを察するのか。キャットフードで尾引寄せようとしても、なかなかうまくいかなかった。少なくとも、捕獲器に入ってくれるようなうっかりした性格ではなさそうだ。
そうこうするうちに、彼女は派遣先の契約期間が切れて、実家に戻ることになった。彼女の収入では、都内にマンションを借りることができなかったので、これまで住んでいたのはお隣の千葉県の船橋であった。実家は埼玉だ。都心にはこれまでより近くはなるが、転職活動を余儀なくされ、思うように猫を探しに行く時間が取れなかった。
とうとう彼女は親を説得してお金を出してもらい、何でも屋にその猫を捕獲してほしいと正式な依頼をしてきた。相談所の会員ではあるし、何でも屋としては、ボランティアでやっても良いつもりだったが、なんとその猫を捕獲するのには、2ヶ月も費やした。
到底報酬をもらいませんというわけにはいかなかった。その間に何でも屋として他の依頼を引き受けることができず、またそれだけ手数をかけたことも彼女がわかっていたので、報酬を払わずには気が済まない様子だった。
親からお金を借りずに大金を払えたと彼女はほっとした様子だったが、本来は彼女が貯めてきたそのお金は自分への投資に使う分だっただろうと思うと、当然の報酬にもかかわらず、何でも屋は何となく罪悪感に駆られた。
しかも、憎らしいことに、捕まえてみれば、その大きな灰色の猫は今まで捕まえられず、触れなかったことが嘘のように人懐っこかったのだ。
とても気遣いのできる猫で扉越しにも何でも屋が飼っている猫たちと争う態度を見せなかった。
しかし、立派な体躯に穏やかな性格とくれば、引き取り手はすぐに現れた。さすがに引き渡すときには警戒した様子だったので、数ヶ月一緒に暮らして愛着が湧いていた何でも屋は別れの日には胸が痛んだ。
他に猫を飼っているとしても、別の猫では埋められない穴が空くものだと知った。
以前に何でも屋に猫を引き渡した、同僚の依頼人はどんな気持ちだったのだろうか?
さすがにその日は猫達と1人で家にいるのはいたたまれず、その以前の依頼人の家を無意識の上に訪ねた。
「出会いがあるから、別れがあるのは猫も人間も一緒ですね」
依頼人は月並みなことを言って慰めてくれたが、その言葉が何でも屋には腑に落ちなかった。猫に対する人間の執着は、人間に対するものとは似て非なるものだ。人間が開けた穴は、猫では埋められず、猫がいなくなった穴は人間と過ごしたことで、多少慰められたとしても、その痛みを忘れられるものではない。
引き取られた猫はきっと幸せに暮らすだろう。それがわかっていても、自分もその猫と暮らしたかったという思いはどうしても消せないのだ。