東と西の薬草園:閑話休題「貸庭の栗仕事」
今年も栗の季節がやってきた。猛暑で紅葉シーズンは12月にずれ込むというのに、栗は律儀に、例年通り実りを見せた。
遥が実家の母からもらった栗は、半分は渋皮まで剥いてあった。もう半分は皮ごと茹でたままだ。
100個は超えるだろう。
かえる亭に持っていけば、蛙が嬉々として栗料理をご馳走してくれる事は分かっていた。
しかし、皮付きのまま持っていくわけにはいかない。ただでさえ料理に庭作業にと手仕事が多いのに、これで栗の皮むきまでさせてしまっては、カエルの手が腱鞘炎になってしまう。栗の皮剥きは親指と人差し指の間の筋を特に痛めがちだ。
昨日は遥以外の貸庭のメンバーはきのこ狩りに行った。遥の親戚が所有する山のきのこだ。遥は留守番役を買って出た。狩りに行かなくても、貸してほしいと話した時に果物やらきのこやらどっさりもらったので、もうこれ以上いらなかった。その時生栗ももらった。実家の分と合わせると数百個以上か。生栗は冷凍庫にパンパンに詰めている。
週末は仕事のメールチェックをしながら、実家の猫を連れてきて戯れる予定だった。両親が泊まりがけで、弟夫婦の家に出かけたからだ。猫を預かるついでにもらった栗はありがた迷惑でもある。
栗は栄養豊富だけれど、その分カロリー爆弾だ。いっこ150カロリー以上あるので、10個も食べると、1日に必要なカロリーの摂取が終わってしまう。かといって栗しか食べない食生活では体がもたない。今年の秋もきっと太ってしまうだろう。冬にはきっと食べ疲れしてしまっていて、気温の急激な変化もあって、冬バテするだろう。毎年、そんなことの繰り返しだ。わかっていても懲りない性分だ。
実家から預かってきた三毛猫と麦わら猫は、山のロッジの探索に夢中だ。もう何度も来たことがあるので、慣れてはいる。
しかし、峠道の貸庭には、最近保護されてきた猫が放し飼いされているので、外猫の臭いが気になるに違いない。あるいはトマ(九州の呼び名。イタチのこと)が狸とかが夜にやってくるらしいので、そういった獣臭が、外からするのかもしれなかった。
麦わら猫は、遥が栗を剥いていると鼻をクンクンと栗の入ったボールに近く寄せたが、食べられそうにないとわかるとどこかに行ってしまった。きっと寝室のベッドにでも上がり込んでいるのだろう。三毛猫はテーブルの下のカゴの中を自分の寝床と決めて丸くなって寝入ってしまった。
外は断続的に雨が降っている。日中はまだ20度を超えるが、朝晩は10度を下回り。だいぶ肌寒くなった。猫のためだと心の中で誰にか分からない言い訳をして、暖房をつけた。設定温度は27.5度だ。
折しも、日曜の本日は寒露である。秋が深まり、草木に冷たい梅雨が下りる日だ。貸庭の紅葉の紅葉はまだまだとはいえ、窓から見える時雨の庭は寂しくて秋らしい。
烟った窓の出窓に飾られた桔梗の花の幹が支柱に絡みつき、洋風の室内に少しだけアジアらしい風情を与えている。
『峠道の貸庭』では洋風庭園が人気だが、遥はどちらかと言えば、アジアンテイストの庭に憧れがある。日本庭園は難しそうなので、とても勉強が及ばない。ただなんとなくアジアに生息する植物を多めにして、来年の春からは、アジアっぽい庭にしたいなと思っていた。とは言え、この富居家の山に野人が植えて育てているものでもない限り、珍しい自然の山野草を見つけるのは難しい。野生の桔梗やリンドウは絶滅危惧種である。樹木も高価だ。
まずは、安価な一年草園芸植物をこぼれ種で楽しんで、1珍しい植物は毎年1つずつでも増やしていければ良いと考えていた。
「ハルさんは、ゆっくり計画を立てるのが好きだよね。地道にコツコツやるタイプ。俺は一気にいろいろやってしまうから、日々の楽しみが少なくなっちゃうんだよね。一気に植えて、一気に種まきしたら、後は手入れするだけ。少しずつ植えていくのもいいなって最近思う。そうしたら、庭が完成するのは季節の終わりになるかもしれないけど、その儚さも悪くない」
大量に栗をむいてかえる亭に持っていくと、ちょうど店の中でハーブの手入れをしているカエルがいた。
案の定、カエルは栗を見るなり、すぐにキッチンに入って料理を始めた。遥はそんなカエルを眺めながら、カウンター席で続きの栗剥きを始めた。営業中はともかく、カエルは他人からあれこれ手伝われるより、1人で自由気ままに、創作料理を作るのが好きなのだ。それに気づいてから、遥はカエルが休みの日に料理する時は、鍋やフライパンには触らないようにしていた。
どんな味の料理が出てくるか、全くわからないままの方が楽しみだ。出来上がった時より、料理している最中の香りの方が、遥は好きだった。なんとなく落ち着くのだ。
「どうかなぁ。私の庭は、一番見栄えが悪いからね。でも、野草が生えてくるとその野草について調べてみたり、気づきもあるよね。ツユクサにはうんざりしたけど。今年の春と夏は薬草をいっぱい食べたなあ。キランソウとかカキドオシとか。寿司が多くて、みんなには不評だったけど、体に良いって聞くと、なんだか嬉しいよね」
「いや、キランソウは苦かったよ。と言いつつ、健康に行って聞くからさ。昨日ちょっと採ってきたんだ。マツタケと一緒に天ぷらにするからちょっと待ってて」
「天ぷらにするの?もったいない気がするけど。香りが飛んじゃわないかなあ」
「俺ももったいないと思ったけど、おじさんに聞いたところによると、天ぷらが1番おいしいらしいんだ。マツタケはみんな1本ずつもらてね。あ、俺はじいちゃんの分とかでこっそり3本もらった。他の人は焼いて食べるって言ってたけど、まあ、ものは試しだよ。ハルさんが来なかったら、じいちゃんと焼いて食べるところだったから、ちょうどよかった。じいちゃんは素材のままにこだわるからね」
カエルの祖父の野人は、庭師であるだけでなく、若い頃は、林野作業もしていたから、野草についてとても詳しい。素材を生かす方法をよく知っていて、"邪道"なやり方はあまり好まない。
「3本しかないのにもらっていいのかなぁ」
「いいよ、いいよ。半分こね。1本は松茸ご飯にして、もう1本は半分こで焼いてじいちゃんと食べるんだよ」
松茸に、栗と秋の味覚がいっぱいで、カエルはご満悦だ。最近は客が多くて、疲労が顔に色濃い。それと、いうのもかえる亭で働く予定だった人がカエルに教えることがほぼないからと金土日の夜しか入らないことになったからだった。朝、昼のメニューは、ハルカ達も厨房に入って手伝えるが、夜のメニューはカエルほどの腕がないのでほとんど任せきりだ。
それでも、カエルは早朝の庭作業を止めず、イベントも率先して企画するのが好きだった。きのこ狩りも当初は、貸庭の客と行くことを計画していたが、参加人数が多いと借りれる場所が限られるので、断念して、希望者には町のイベントを案内したり、貸庭でできるきのこが生える木を配布したら大変喜ばれた。きのこの木はこの山だけでなく、家に持ち帰っても育てられる。
カエルは自分の借りている場所は、イングリッシュガーデン風にしているので、あまりキノコの木などを置きたくないようだった。それでなくとも、麓の野人の家で椎茸を育てている。わざわざ出かけて、山にきのこを取りに行くのをして見たかったらしい。
果実町に移り住んで2年目のカエルは、まだまだ、田舎暮らしに興味津々である。
「さあ、できたよ。栗のハーブたっぷりキッシュにマツタケと栗と野草の天ぷらにマツタケごはんになめこの味噌汁」
「わあ、美味しそう。師匠を呼んでくるね」
「うん、お願い」
かえるがかえる亭で料理する間、祖父の野人は大抵貸庭で作業をしている。気候が庭作業するのによくなってから孫のカエルが言っても作業をやめないので、遥が声をかけることが習慣になっていた。
「師匠、ごはんですよ」
「もう、そぎゃん時間ね。あらあ、腰ん痛かばい。残りは明日せんばんたい」
野人がやれやれと立ち上がった。最近、野人は身体が急に老いたようだ。しかし、貸庭事業が始まってからやりがいを見つけた瞳は輝いていきいきしており、「もう無理せず庭の手伝いは偶にでいいですよ」とは言いづらい。
「いただきます」
三人で食事を囲むのは久しぶりだ。最近貸庭のメンバーは忙しく、今日ぐらいゆっくり休みたいだろうとカエルに言われ、食事のお誘いの声はかけないことになった。
「やっぱりあったかいごはんはうまかばい」
野人が嬉しそうにごはんをもりもり食べるのにつられて、遥もつい食べすぎてしまった。
栗のキッシュはパイ生地やタルト生地の代わりに土台に潰した栗を使い中に生クリームと玉子が注がれており、口当たりがとても優しかった。具材のほうれん草はしっかり火が通って見た目と違いほとんど存在感なくほろほろと溶けた。
「ハルさん、食いっぷりのよかね」
「お腹いっぱいです。もうこのまま冬眠したいですよ」
「はは、山の守り人は冬眠はされんたいね。ようようがまだして(我慢して)暮らしなっせ」
「私は我慢強くないからですね。まあ、ぼちぼちやっていきます。ご指導よろしくお願いします」
遥がおどけて頭を下げると、野人は機嫌よく声をあげて笑った。喉の奥が見えそうな大笑いだ。
食べ終えると、三人で栗むきの続きを始めた。山にはもうすぐ霜が降りる。
9月までの猛暑が終わると、すぐに冬が追いついてきた。