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フルーツフレーバーティーを贈ります②

第二話「りんごのチャイと昔の恋」


※「東と西の薬草園」から派生したおはなしです。

九州南部の山間地の果実町には、「かえる亭」というレストランがあります。
レンタルガーデン「峠道の貸庭」に併設され、山中の少し奥まった場所にありますが、オープンから数か月、客足はまずまずといったところ、むしろこの山の中で客の来ない日はないのだから、なかなかに繁盛していると厨房スタッフのかえるくんは自負しています。レストランのかえる亭はスタッフの井中蛙くんの愛称にちなんでいます。
年末年始はかえる亭を休むので、久しぶりにまとまった休みが取れます。
しかし、かえるくんには今のところ長期の休みに何をするか予定はありません。
関東にある実家には、年末年始には兄家族が帰ってきます。
こちらには、かえるくんの父親の野人さんの家がありますが、祖母が亡くなってから、家族みんなで果実町の家を訪れることがなくなりました。
30代独身のかえるくんにとって家族の団らんは身の置き所がないので、野人さんとのんびり年始を過ごすのが気楽です。
それは独身男性だけでなく、独身女性も事情としては同じようです。

「休みが長すぎるかあ。私は香さんのところの旅館を大晦日と三が日だけ手伝う予定だからね。23日から閉まっても、14日まで1,2,3,4・・・23日。1か月近くあるのか。ちょっと長いのかもね。あ、これ、すごく味付け良いよ。おいしい」

ハルさんが鍋の中で出来立てのチャイを味見してにっこりと笑みをこぼしました。かえる亭では、貸庭の敷地や隣接する富居家の別荘で庭師の野人さん(ハルさんは師匠と呼んでいます)、師匠が育てる庭でとれたハーブやスパイスを料理に使っています。野菜も基本的には地産地消です。
しかし、チョウジの木(クローブと呼ばれる花のつぼみがスパイスとして使われます)など暖かい地域に向いた植物など寒い山間地では育てにくいものもあります。
そのため、かえるくんは休みの今日に少し遠出して、庭にないスパイスをたくさん買い込んできました。お店で使うものではありませんが、たまに無性にスパイスの効いた飲み物や食べ物がほしくなる時があるのです。どこに出かけたいと普段言わない祖父の野人さんも「かえるくんが使うなら、こういう植物を温室で育ててもよかたいね」とたまのドライブに上機嫌で付き合ってくれました。かえるくんはガーデニングを教えてくれた野人さんをとても尊敬しているので、そのお師匠さんの機嫌がよいと自分も気分がよくなります。
気分が良くなると料理をしたくなるのがかえるくんです。
貸庭を拡張したので、春からの庭のレンタルの受付整理と庭仕事で忙しかったハルさんを気分転換に誘って、店のキッチンで中東風の平焼きパンを焼きました。エジプトでは「エイシ」と呼ばれるそのパンは、スパイスの効いた食材とよく合います。

飲み物のチャイには紅茶とミルクのほかに、クローブやシナモンやコリアンダーといったスパイスを使いました。砂糖を加えて出来上がりです。
クローブはシナモンの香りにたとえられる花のつぼみなのですが、似た香りを合わせるのがオシャレだとかえるくんは出来上がりに大満足していました。

「ーごめんください。ちょっと、いいかしら」

ちょうどエイシが焼き上がり料理も出来たところで、店の扉が開きました。「今日はお休みですよ」と言いかけたものの、現れたのがかえるくんと同じガーデンスタッフのみどりさんだったので、かえるくんは口を噤んで黙って中に招き入れました。
みどりさんの隣には、還暦過ぎの彼女よりもう少し年齢が上に見える男性がいました。白髪交じりの髪がきちんと整えられていて、清潔そうな印象です。

「思った以上に山の方は寒いですね」

男性に声をかけられたので、かえるくんはお店の人の顔をしました。

「今年はそれでも暖かいくらいですよ。何か飲まれますか」

「そうだなあ」

男性がメニュー表を手に取りました。

「ちょっと、今日はお休みなのよ。すみません。何か、あるもので構いませんから」

みどりさんがすまなそうに口をはさみました。

「じゃあ、チャイはどうですか。作りすぎたので、良ければ料理もお出ししますよ。スパイスの効いた料理がお嫌いでなかったらですが。ちょっと辛いかもしれません」

「なんでもいいですよ。あ、できれば飲み物に果物を入れてくれませんか。こちらは、果物が有名なんですよね」

男性が期待に目を輝かせたので、かえるくんは思わずハルさんと目を合わせました。

「すみません。冬はこの辺ではあまり果物がないんですよね。もちろん、乾燥させたものもありますが。そうだ、りんごを入れてみるのはどうでしょうか。地元産じゃないし、実験になっちゃいますけど、おいしそうな気がします」

「いいですよ。任せます。雰囲気が味わえたらいいので」

ハルさんが提案すると、男性は快く応じてくれました。ハルさんはどちらかと言えば人見知りな性格ですが、好奇心旺盛で何かを提案することが多くあります。その提案が他の人の発想を生んで意見が活発になったり、活発になりすぎて意見が衝突することもしばしばありますが、こういうときはハルさんの明るい提案はとても助かります。かえるくんは人と接することが好きですが、初対面の人に自分の意見を言うのは苦手です。

「いやあ、オシャレなお店だねえ。料理もすごくおいしいし。うらやましいな。俺もこんなところでのんびりと余生を過ごしたいな」

男性はかえるくんの料理が気に入ったようで、幸いなことに創作チャイも美味しく飲んでもらえました。店の内装についてあらためて見直して、とても感心したようです。それもそのはず、庭師で建築士の野人さんが自分の理想を詰め込んでデザインした店なのです。素敵なお庭と調和する建物としてはこれ以上ないとかえるくんも身内びいきで普段から絶賛していました。こんな理想のキッチンで料理ができるなんて毎日幸せです。

「のんびりなんてしていないわよ。新しい場所に住むんだもの、右往左往しているわ」

うっとりと景色を眺める男性の隣でみどりさんが不機嫌そうに答えました。とても剣のある言い方でしたが、田舎に来ればのんびりできるというのは同じ移住者としてかえるくんも納得なので、何もいいませんでした。

かえるくんは年末年始の休みが長いことを貸庭の管理人のハルさんにずっと抗議していましたが、他のメンバーとの話し合いの末、年末年始の休みは1か月近くなることに決まりました。レンタルガーデンは2月まで休庭期なので、それでも春までの準備の時間の余裕があります。
貸庭のメンバーはあまり体が丈夫ではありません。みどりさんも高齢者で、師匠も80歳を超えています。若いスタッフも入りましたが、あまりに盛況で倒れるほど頑張ってもスタッフが庭仕事を楽しめずに続かないだろうからとハルさんが休みを増やすことを譲らなかったのです。
元々果実町生まれのハルさんより、移住組のメンバーの方が働きたがっていました。特に果実町のような農村部では朝早くから働く人が多いのでつい負けん気が出てしまうのです。モーニングを朝6時からにしたいと提案したら、ハルさんに即座に却下されてしまいました。

『かえるくんは働きすぎよ。忙しくて前の前の仕事を辞めたんでしょう。それなのに、もっと仕事中毒になってどうするの』

そうやって憤然としたハルさんが誰より自分のために休みを増やしてくれたことは、かえるくんもわかっています。しかし、かえるくんは今何よりこのレストランや貸庭で働く時間が幸せなのでした。そのためのアイデアもたくさんあります。

「ーそれでも、君はここで楽しく暮らしてるんだろう」

「まあね」

「一緒に住むことはできないかなあ」

「あなたには向かないわよ。不便なところだから」

この1年ですっかり果実町の住人になったみどりさんは男性に、にべもなく言い放ちました。どこかよそ者の気持ちがあると、その土地の悪口など言えないものです。不便とか、忙しいとかは土地に愛着があって生まれる言葉なのです。

「チャイはどうでした。口に合いましたか」

男性が去ってから、かえるくんはあらためてみどりさんに声をかけました。
みどりさんは男性を駅まで送って再びすぐにかえる亭に戻ってきました。一緒に住んでいるお母さんのデイサービスの送迎があるので、それを出迎えなければならないのです。
いえ、本当はそれは言い訳で、今日はお母さんのデイサービスの日ではありませんでした。もし、そうなら、夕方近くになってみどりさんがかえる亭に顔を出すことは出来ません。みどりさんの家は山の下にあるのです。暗くなると山道が不安なので、みどりさんの勤務時間はいつも日暮れを超えることはありません。

「うん。とっても美味しかったわよ。ハルさんのすりおろしたりんごがとっても美味しかったな」

「おだてられてもなあ。何も出ませんけど、美味しかったのは認めます」

ハルさんがことさら明るく答えたのは、みどりさんの様子がどこか心ここにあらずということに気づいていたからでしょう。そして、みどりさんが心の内を話すことを待ち構えていたのです。

「ー離婚したそうなのよ。子供たちが独立して、奥さんはそれまでの家に子供たちと住むって。それで居場所がなくなったみたい。一人のアパート暮らしが寂しいんでしょうね。私はずっとそうだったのに」

男性はみどりさんの以前の不倫相手でした。それでも、10年以上連絡を取っていなかった相手です。なぜ今更訪ねて来たのか、どうやってここまで調べて訪ねて来たのか、事情は分かるけれども心で納得したくはなくて、みどりさんは急に現れた過去に戸惑っていました。

「冬は特に寂しくなりますよね。私もここで一人暮らしですから。チャイをもう一杯どうですか」

「お願いします。シナモンは冷え性にいいから。暖かいって言われるけど、こちらの冬の夜は寒いなって最近実感してるの。毎日湯たんぽ」

「私はゆうさんの真似して、最近朝はハーブで足湯してます。これが結構いいんですよ」

「そうなの?私も試してみようかしら」

ハルさんは相変わらずの提案好きです。これは機嫌が良いときに提案が出るのではなく、もしかして緊張して雰囲気を変えたいときに彼女は何か提案をするんだろうか?とかえるくんは今あらためて気づきました。ハルさんと知り合って数年になりますが、まだまだお互いに知らないことも多くあります。

冷え性に悩む季節です。チャイを口にするたびに、シナモンとクローブの香りが強く鼻をつきます。
みどりさんは過去の男性についていろいろ悩みたくはなかったようです。ハルさんが話題を変えると、それっきり男性の話はしませんでした。しかし、心のなかでは、回想していました。

男性はみどりさんが通った資格学校の講師でした。合格記念のパーティーでお互いに意気投合しました。
男性が既婚者なのかどうか、みどりさんは確かめませんでした。
生徒に手を出したといっても、当時も未成年ではなかったわけです。
ただ、未成年と変わらないくらい世間知らずだっととみどりさんは自戒しています。学生の頃に二人と付き合って、恋愛事にはそれなりに無難に対処できるつもりでいたのです。自分に分別があると思うのは、それだけ精神が幼稚な証拠です。
どうして20年もあの男性に振り回されてしまったのか、みどりさんは自分でもわかりません。
ハルさんがチャイに入れたりんごのように、別になくてはならないものでないのに、より人生を甘くすることが良いことのように思われたのかもしれません。

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