東と西の薬草園④
前回までのあらすじ
第4話「棗(なつめ)と吾亦紅(われもこう)」
1.秋らしい朝食
クロッカンムッシュをつくろうとしてバターをしいたフライパンに直接手を触れたことはないだろうか。遥はある。
ベシャメルソースとハムを乗せていざパンをひっくり返そうとした時にうまくいかなかったので、手で持ち上げようとしたところ火傷してしまったのだ。
軽症とはいえ、朝から指先に水ぶくれができてしまってげんなりした。
しかし、その気持ちも、朝ごはんの準備ができて食卓が思った通りに整うとすぐに上昇した。
虚しくしおれたドライフルーツはおいしい。
ボコボコと歪になった野菜や果物完熟していると主張した人は誰だったのであろうか。干した果物は、熟れて練られている。
その洗練された味わいをお茶に風味づけすると言う洒落た振る舞いを考えた人は天才だ。
食卓には秋らしい黄色のクロス。たっぷりのバターで焼いたスパイシーなパンのクロックムッシュ庭でとれたパセリをひと房飾った。付け合わせは果物の乾物のほかに昨日ご近所からもらったサツマイモで深夜に作ったチップス。健康を考えてヨーグルトを添え、その上には夏に作ったイチゴソースをかけている。コーヒーには甘味料として庭師の野人にもらったステビアを入れている。
完璧な朝食。簡素な作りのログハウスと木製のテーブルと椅子のセットも今日ばかりはおしゃれな雰囲気を醸し出している。
壁にはお屋敷の香りと2週間前に一緒に作った天日干ししただけのドライフラワー。ミモザとかすみ草と吾亦紅。枯れた花を窓辺に飾るのも洒落ている。
ログハウスの小窓からは背丈の低い花壇は見えず、遠くの花々は木々の色に埋もれている。窓の額縁にすでにある桔梗の鉢の隣にとりどりのキンセンカを挿した花瓶を飾ると、外の緑に花が咲いたようだ。
全て食べ終えたらさらにティータイム。天井から吊り下がった名前も覚えてないドライフラワーを少しちぎってガラス瓶に放り込んでお湯を沸かして煎じて飲む。口の中をすっきりさせて、爽やかな気持ちで身支度を整えるのだった。
2.秋の庭づくり
それぞれの作りたい庭の全容が見えてきた。カエルがローズガーデン。はるかは東洋風の薬草ガーデン。香は西洋風のハーブガーデン。霞が野菜と観葉植物をとり混ぜたポタジェ。香の祖父母が台湾庭園を再現することになった。
若者たちのガーデンはそれなりに形になってきている。春に負けず劣らず秋も彩りの季節である。花のように華やかな、葉物の観賞用植物が彩り豊かな霞の庭が今のところ一番見ごたえがあった。カエルは最近仕事が忙しいらしく、薔薇の手入れが間に合っていない。お菓子作りに精を出す気力もないらしく、今週は初めてはるかと香の2人で茶会の菓子を作ってみた。
お茶は棗と梨と桔梗の根っこの薬草茶。庭師の野人が以前に作ってくれた薬草茶で、それ以来棗にはまった香は、最近は干した棗だけでなくドライフルーツ全般ににはまっている。それで、ふんだんにドライフルーツを使った焼き菓子を提案した。フィナンシェにパウンドケーキ、少し季節外れのシュトーレン。日持ちのするお菓子で2日前から準備にとりかかった。はるかは少し手を抜いて前日に仕込みをして、濾した棗の実を使った饅頭とビスコッティを作ってみた。
はるかも香りも毎朝蜂蜜で煮出したシンプルな棗茶を飲み始めてから、体調が良い。特に香は疲れにくくなったと言って、次は山鳥でナツメのフルーツフレーバーティーを販売したいと張り切っていた。
体調が良いと気分も良い。別荘で祖父母と暮らすようになって、身近に話し相手が増えたのもさらに気分を軽くしたようだ。
庭園の作業に疲れて、近場の太い木に寄り掛かった香に遥は声をかけた。
「蟻だらけだから刺されるよ。虫除けスプレーはつけた?」
お揃いの緑のエプロン。腰にはパステルカラーのリボンつきポシェット。エプロンは無地で紐に山鳥の絵の刺繍がある。ポシェットを合わせるとカラーリーフに淡い花が咲いたように見えるのが可愛い。
レンタルガーデンを始める人にウェルカムプレゼントとして渡すオリジナルガーデンエプロンセットだ。デンタルガーデンは最低でも3ヶ月契約してもらうことになる。別途3000円の入会費が必要で、そのお金でエプロンとポシェットをプレゼントすることになった。園芸用具は敷地内にある小屋に何セットも揃えてある。それだけで足りない人は、自分で他に必要な道具を持ってきてもらうことになる。
シャツとジーパンと言う気軽な服装で庭作りを楽しむ人も完璧な園芸装備で望む人も、同じエプロンを着けていれば少しは親近感が湧くのではないかというのが霞の提案だった。
「実は母さんからアイディアをもらったんだけどね。作業着って大事じゃないか」
確かに杜氏さんと言えば社名の入った相撲取りの化粧回しをシンプルにしたような前掛けをつけているイメージがある。別に前掛けがなくても良いが、あればあったでその会社の職人というのがわかりやすい。
レンタルガーデンは来月10月1日から開始の予定だ。今のところ予約が数件ほど入っている。10月中にレンタルガーデン利用者以外も交えてイベントの予定だ。ガーデン利用者以外からは参加費を集めることに決まった。
「今日は皆種まきをして終わろう。今から種をまいておけば、春先の花壇が楽しくなるからな」
野人の指導を受けて、遥と香と霞の3人はあるだけの花の種をまいた。これが全部芽を出して咲いてくれるかと思うと、確かに春が来るのが楽しみだった。
「カエルがいないのに種まきなんかしちゃって、すねるんじゃないでしょうか」
「今は仕事が忙しかろうけんな、そんな余裕もなかろうよ。何ならちょっと薔薇の手入れを手伝ってほしいと言うとったな」
「じゃあ僕も野菜の収穫を手伝って欲しいな。サツマイモがそろそろたくさん取れそうなんだ。ここの山には栗の木もあるよね。茄子とかぼちゃが食べ切れないほどあるんだけど。野人さん、カエルのお土産に持って帰りますか?」
遥の言葉に乗っかって霞が言うと、野人は地を見たまま一息ついた。
「うんにゃ。家でも野菜はいっぱい取るっでね。カエルが作り置きした料理で冷蔵庫はいっぱいよ」
「さすがカエルですね」
美しい庭に住むようになると、料理をするのも楽しくなる。最近凝った朝ごはんを作るようになった遥だったが、かえるのまめまめしさには到底かなわない。香も最近ポプリ作りにハマっていて、遥も一緒に大量に作ったそれをお茶会の席にそっとお土産として置いてみるが、持って帰る人もあまりいない上にどんどん作ってしまうので、なくならなくて困っていた。
「そうだな。野菜の処理に困るから、ここで漬物の作り方を習いたいと言うとったな」
「それもいいですね」
香がニコニコとうなずいたが、霞と遥は返事をしなかった。2人とも、実家にはぬか床があり、母が作る漬物を子供の頃から食べ飽きていたからだ。
3.嵐のティータイム
さてイベントの計画である。
料理教室の内容の相談会には、霞の母が周囲に声をかけてくれたおかげで、カエルと遥と霞と香を含め、20人弱の人たちが集まった。4人の想定よりたくさんの人が集まり、試食会も兼ねていたので、食いでに困らなくて助かった。
さんま、さつまいも、栗、白ごはん。
秋は美味しい季節である。クチナシの花が咲いているので、クチナシで真っ黄色にした栗のお菓子の提案は真っ先に出た。見た目が良いとそれだけで、食欲がわくものだ。
近年はスマホで写真を撮るのが流行ってから、食べ物でもなんでも写真映えするものが好まれる。黄色い栗は映えると盛り上がった。
霞の母の夕(ゆう)が気を遣ってくれたのか、夕も含め60代以上の高齢者が3人ほどいたが、元は40代以下の人が多く3人と歳の近い人もおり、和気藹々とした話し合いに・・・なったのは、、、実際に料理の話し合いになってからだった。
霧山夕は、イベントの内容を具体的に提案する前にコーチング講習みたいなことをやりだした。
「まずはこの町をよくするためにやりたいことを3つ書き出しましょう」
夕が集まってすぐにそんなことを言い出した時に、戸惑いを顔に浮かべていた人は多かっただろう。確かに山鳥のフレーバーティーは町の振興策の意味合いが強く、レンタルガーデンもうまくいけばその一環になり得るが、今はまだ事業として成り立つかどうかもわからない段階である。先走りすぎであると思ったが、息子の霞が何も言わないので、他の人は意見を挟む余地がなかった。
「さあ、3つ書き出したことを発表していきましょう。遥ちゃんからどうぞ」
霞の母とはほとんど初対面であるが、息子の同級生なのだから、ちゃん付けでもおかしくは無い。しかし遥も30代でいい歳で、ほとんど知らない人にちゃん付けをされるのは、ちょっと初対面では親密すぎる気がしてあまりいい気はしなかった。
そして、いの一番に発表した遙は自分が間違ったことに気づいた。
他の人はレンタルガーデンでのイベントの提案だった。遥だけ方向性が違った。皆の発表が終わった後、恥ずかしくて消えてしまいたかった。通りで年配者の人は何も紙に書かなかったはずだ。作りたい料理の内容を言えばよかったのだから。
遥が思い付いたこの町でやってみたいことは以下の3つだ。
夕が聞きたかったのはそういうことではない。もちろん遥の提案はなかったものとして話が進んだ。
必要なのは今ある魅力の宣伝だ。魅力を宣伝のために作り出すことではない。田舎の農家暮らしが大変で移住したいと思うだろうか。365日働く生活をしたい人ばかりではない。のんびり暮らしたい人に田舎の優雅な生活を提供するのだ。都会があくせくしているのに、田舎まであくせくしていて誰が田舎に来たいと思うのか。遥は町の住みやすさを考えたが、まず住んでみたいと思われるような観光的な見映えを考えなければならないのだった。
痩せている人がデトックスを提案して、ふくよかな人が田舎料理を提案した。日に焼けた農家の人がフラワーアレンジを語り、虚弱な体力のない富居家の人が山登りを希望する。みな、ないものねだり。
そのチグハグさが新鮮で、地元の人だって自分たちが生きる土地での生活の中に非日常が欲しいんだという新しい発見があった。
「私は今日これを持ってきたんですよ。園芸には除草や除虫が必須でしょう?今は有機栽培が流行でしょうし、無農薬で育てたい人が多いと思うんです。それで、うちの酒蔵場での手作りの除虫剤を使ってもらったらどうかなと。効果が期待できるっていう程度なんですけど」
「母さん、それはまた次の機会で話すって言ったじゃないか。成分もアルコールが入っているし、植物によって効果がどれくらいか野人さんに俺が聞いてみるって言っただろう。無料で配れるわけじゃないし、原価だってかかるんだから」
「あんたこそ今そんなこと言わなくていいでしょう!今はみんなで意見を言う場なのよ。提案なんだからいいじゃないの」
夕にピシャリと言われ、霞は押し黙った。まさか楽しいはずの茶会の席で親子喧嘩を繰り広げるわけにはいかなかった。
先日、霞の趣味と実益を兼ねて霧山酒造特性のアルコール除虫液が完成した。天然成分なので、一般的な農薬よりも価格が高い。タイミングを見て、レンタルガーデン利用者向けにで 販売を提案してみようとは思っていたが、今は時期尚早だ。
一升瓶に入った除虫液はおしゃれな野外のティーパーティーのテーブルの上で異様な存在感を放っていた。
「ではまず、我が家ののお試しのガーデンで使ってみましょう。おいくらかしら?香たちが使えば経費で落とせますからね」
その場を収めたのは、それまで静かに黙っていた香の母だった。富居咲は山鳥の経理部署に勤務している。肩書はないが、社長の妻だから経費についてはある一定の権限がある。
咲の言葉を契機に、その後の話し合いは和やかに進んだ。
ドライフラワーとボタニカルキャンドル作り。パン作りをして完成したものを自然の網籠に入れエディブルフラワーを散らして。
そんな話を2、30分続けて案が出ず尽くした後、第二回からのイベントは本日の相談会で話し合った内容で遥たち4人が検討することになった。とりあえず第一回は料理教室である。
霞の母の夕は、さすが評判の料理上手だった。
料理の手際の良いカエルと香が助手をするから、なおさらプロの料理講座のように見えた。手にホワイトボードを持って見せながら、手順についてなぜそうするのか、どうすれば形よく美味しくなるのか、知識をわかりやすく語ってくれた。
満場一致で試食会の夕の料理を料理教室で提供することに決まった。
初回の料理教室は、ドライフルーツとドライハーブの饅頭と芋餅作り。混ぜ込むフルーツや芋餅の餡を変えれば、今日試食会に参加した人も、また次回違った味を楽しむことができる。
「かえるは今日は活躍の場がなかったね」
「でも大好きなお菓子作りができて最近の忙しさも吹っ飛んだんじゃないかな」
霞の言葉に、料理が出来上がった後も夕に張り付いて2つのお菓子のコツを聞いているカエルに遥は視線を移した。常になく無口だったので、よほど疲れているのだろうと心配したが、いざ料理になると気分が上昇してくるのがカエルらしい。おいしそうに食べる蛙を見ながら、遥も食べ過ぎた朝食を後悔しないくらい食欲が回復してくるのを感じた。
「ハルさんはさ・・・」
「うん?」
「いや、、、朝の庭作業をみんなでするのも定番になってきたから、しばらくカエルがいなかったのも、何か違和感があったよね」
霞が何か言い淀んだのに気づいたが、遥はあえて聞き返しはしなかった。聞きづらいことだと思ったなら、遥が言いたくないようなことかもしれないので、やっぱり聞かれたくはない。
4.秋の恋わずらい
それぞれに満足してもらえたイベント相談会&試食会になったが、問題もあった。
あまりに霞の母が完璧に取り仕切ったため、皆気後れしてしまい、第2回以降のイベントをやってくれるという人がいなかったのだ。
とりあえず第1回が好評なら、その2週間後には第2回をやる予定だ。レンタルガーデンの利用者が、皆同じ時に休みが取れるとは限らない。まずは参加人数が少なくても、レンタルガーデン利用者全員にイベントに参加してもらえる機会を作ることが大事だった。
早めに第2回をやる場合、ただのお茶会にしてカエル4人で手作り菓子を提供するということにした。フラワーアレンジメントやボタニカルキャンドル作りは有力なので、後日に提案してくれた人に連絡して、講師をやってくれないか、講師をやってくれる人に心当たりがないか聞いてみることにした。
夕の料理は満点でも、講師としては賛否両論だった。
遥が呼んだ地元の同級生二人は感想を聞くと「あの人が講師だと来づらい」と言った。
「最初に町の振興策とか聞かれたのはよくわからなかった。ハルさんの提案が普通じゃない。無視していやな感じだった。作る料理も決まっているなら、素人が提案なんてしなかったのに」
「レクレーションに来たのよ。ちょっと本格的過ぎたかな。それに手直しされるのも嫌だった。教えてくれるだけでいいのにさ。別に完璧にできなくても、自分で作ったやつならいびつでも食べるのにね。私って他人が握ったおにぎりでも苦手だからな。食べるときおばさんがこねたのを思い出すといやだった。それに自分だけ綺麗にする型を持ってきてて、貸してくださいっていったら、自分の手で形をつくらないと楽しさが分からないとかいうんだもん。矛盾してない?」
遥が提案を無視されたのは、良いのだ。脱線すると話が進まなくなるから、無視してくれてありがとうございますと遥は感謝していた。型の件は気づかなかった。自分が作るのに精一杯だった。本番はサポートに回るが、今後もレシピを頭に叩き込んで、場が盛り上がるように工夫した方が良いだろう。
他人が握ったおにぎりや他人がこねたパンやお菓子が食べづらいというのに至っては、感性の違いだろうが、遥には共感出来ない。
「型の件は母さんに言っておくよ。口が多すぎるんだよな。当日はあまり動き回らないように前の席で固定しておくか。プロジェクターとか使ってレシピは俺たちで紹介しよう。カエルと香さんは料理が得意だから、作る方のサポートをしてもらって、俺かハルさんが司会をやったほうがいいだろうな。ただ親子っていうのはアレだから、できればハルさんに司会をやって欲しいんだけど」
「それはいいけど、ごめんね嫌な話を聞かせちゃって。こっちから霧山くんのお母さんにお願いしたのに。二人も悪気はなかったと思うんだけど」
「いや初めてのことだし、母さんも張り切りすぎたんだよ。もうちょっと肩の力を抜いてやってもらえばよかったんだ。俺の意見をよく聞く人じゃないからな」
相談会の後は反省会だ。香の山の別荘で富居家の人も交えて再度のお茶会だ。香の母の咲は胃が痛いと言った。香が棗茶を勧めて飲ませると、胃が落ち着いたと言って、本日作ったドライフルーツの饅頭と芋餅を口にした。試食会では作って満足して人疲れてしまってすぐに食べる気にはなれなかったそうだ。遥も同じで何とか1つずつ無理矢理胃に収めたくらいだったから、咲の気持ちはよくわかった。
霞は離れたところでしていた遥と友人2人の話を聞いてしまった。知らないふりどうしてもよかったが、当日の進行に関わることであり、母の態度をはるかに謝罪しなければとも思っていたので、その2人が去った後に背後からはるかに声をかけたのだ。遥は飛び上がるほど驚いた。友人から否定的な意見が出るとはあまり思っていなかった。ましてやそれを霞に聞かれたのだから、遥の胸が潰れそうになったのは無理もない。
母の悪癖を霞は分かっていた。賢しらに教えておいて人のを後からやり直す。いかにも真似して使って良いですよとこれ見よがしに見せびらかして、とられたら糾弾する。プライドの高い猫のような人だ。だから人前に立ったり教えるのが好きなのに、あまり頼まれ事をしないのだ。婦人会の人からそれとなく言われたこともある。母が会長をしているのは、本人のやる気のために外ならない。
イベントの料理教室より先に開始するレンタルガーデンについても、4人は改めて話し合った。
まずは、初心者はやりやすい鉢で小さく作るミニポタジェの庭から始めよう。方針を示せば、誰もがやりやすいはずだ。4人が全く違った思考の庭作りをしているのもよかった。それぞれに違った方面からアドバイスできるからだ。例えばカエルは薔薇について、遥は薬草を使ったお茶作りについて、香は花の加工について、霞は野菜の手入れについて。4人も素人に近いので互いの知識に頼っていかなければならない。しかし、遥以外の3人は他に仕事もある。3人のレンタルガーデン事業の参加はあくまで副業。3人や野人に聞いてばかりではなく、いずれは遥自身が基礎的な知識を身に付けなければならなかった。園芸雑誌を置いておくにしても、どれがどう参考になるかわからなければ勧めることもできない。テレビや動画サイトなどで園芸チャンネルを見ている人もいるかもしれないし、そういう人と話が合うように遥は最近園芸の番組を見始めた。
「真っ白じゃなくて他人を手伝うなら三色のバラのアーチにするのもどうかなぁって思ってる。今は俺もちょっと仕事が忙しくて余裕がないんだけど、来月になったらだいぶ時間もできるから。連休の振替が待ち遠しいよ」
「じゃあ、来月私の庭の方にもバラのアーチを作ってくれませんか。その時に4人だけのお茶会も。チーズサブレを作ってくれるって言ってたでしょ。私もテレビで見たハーブ料理を試してみたくて。1人でやるのは寂しいから。何ならハルさんも今日来たお友達を誘ってみてくださいよ。今日ちょっと行き違いがあったなら、もう一回改めて楽しんでもらえばいいでしょ」
カエルと香は遥の友人たちの感想を知らなかったが、話の流れから何か否定的な意見が出たのは察したようだ。カエルは器用でセンスがあり、どんどん庭ですごいことをやってのける。しかしそのために、手をかけすぎて、趣味のために生きている感じになっている。仕事がうっとうしくて、1日でも多く庭に来る方が大事だと言うのだ。そう言いつつ、仕事を休むことはないのだから、均衡の取れたワークライフバランスが重たすぎて秤が壊れそうだ。よく言えば充実しているのだろうが、悪く言えばがんばりすぎだ。疲れていてもイベントに参加したら気力が回復するなんて、遥からしたら考えられない。たくさんの人に会って、疲れきっていた。4人で話が終わったら、とっとと夕食を食べて寝てしまいたかった。
香は人の手を適度に借りて、カエルほどではないが、それなりの庭を作っている。
霞は庭のデッサンに忙しく、なかなか作業が進まない。空いたスペースにはとりあえず野菜の苗で埋めている。デザインにこだわって庭の全貌が見えてこない。野人羽庭のデザインを絵に描いてみた方が良いと言うが、香が絵を描くのが苦手なのに便乗して、秋に入る前に何を植えるか大体で鉛筆書きした後は遥もデッサンなどはしたことがなかった。
遥も霞のように大枠を決めてから進めたい口だが、ないもののデッサンをするというのは難しい。さらにすでにあるものだって、植物をたくさん1つの紙の中に入れると言うのは空想の産物以上に難しかった。さらにさらに庭はいつでも満開というわけではない。つぼんでいる一画などどうやって表現すれば良いのだ。今のように秋の庭に花が咲き誇って、作り上げられたものを見て絵を描くならそろそろできそうだ。
4人の話が終わった頃には、空には満月が出ていた。いつものごとく料理好きなカエルがみんなに夕食を作って振る舞った。
夕飯まで食べたのだから、外に出る頃にはすっかり暗くなるのも必然だ。
さすがにカエルも疲れたのか、邸の台所の冷蔵庫にあった鱈のムニエルをメインにして、後は市販のパンと出来合いのスープやポテトフライを並べただけだった。それでも、随所に使われたハーブがセンスが良く、今までのカエルの手製の料理の中で最も美味しく感じたのは、遥も疲れていたせいだろうか。
遥はその日寝付かれなかった。
霞が聞いていた以上に、遥は今日1日いろいろ言われた。
「心配してたけど、こっちに帰ってきて表情が良いみたいだから安心したよ。別荘の管理人って仕事は楽なんでしょう。いいポジションに収まってるんだから、前の職場みたいに泣くような立場じゃないよね。今は他に富居さんところで働きたい人はいっぱいいるよ」
確かに、以前にこちらに帰省してきた時、その友人に会って、遥は会社の愚痴を言いながら涙したことがある。しかし久しぶりに会った友だちにきつく言われれば、落ち込む。富居さんところで働きたいと言うのは、その友人自身かもしれなかった。しかしそんな言い方をされて紹介する気にはなれない。また山鳥がどういう部署の求人をしているのか遥は知らなかった。
料理もデッサンもレンタルガーデンも遥が志願してやることになったわけじゃない。別荘の管理人の仕事と聞いて応募しただけだ。
帰省する前に履歴書を送り、その時点では地元でやりたがる人もなかったと聞いていた。
しかし、他が代わりたいといったからといって今さら代われるか?
遥以外の3人は協調性も知識もあるから、レンタルガーデンの事業は遥が引けばもっとうまくいくのかもしれない。でも、人間関係のバランスというのもある。遥はこれまでの職場で人間関係の悩みが1番きつかった。
また、霧山夕にも探りを入れられた。
「はるかちゃんはカエルくんと付き合ってるの」
「いいえ、違いますよ。友達です。」
「じゃぁ、うちのカスミと付き合ってる?」
「そんなことないですよ。みんなガーデニング仲間です」
「そうね。今はそうでも後からどちらになるかわからんよね。フラフラせんでどちらかに決めてもらうと助かるかな。こっちも覚悟ができるけんね」
フラフラなどしていない。友達だと言ったではないか。そもそも霞もカエルもおそらく2人とも香のことが好きなのだ。それを最近、遥はひしひしと感じていた。2人とも遥に対して香の話をすることが多い。それもとても嬉しそうに。遥は正直なんと言っていいかわからない。2人がする話くらいの事は、香と一緒にいる時間が長い分、遥もよく知っているからだ。香から聞いた話をカエルから聞いて霞からも聞く。うんざりするようなちょっとおかしいような。
夕に素直に香と霞の仲を気にしたほうがいいですよと言ってやろうかと思ったが、息子の恋の進展を母親に教えてやる義理もないのでやめておいた。
寝付かれないベッドの上で、遥は自分がお邪魔虫なのだろうかと考えた。レンタルガーデンを3人に任せて自分が身をひいたら、香はどちらかと仲が進展するのであろうか。恋愛話に縁がない遥がいることで、3人はそんな話もできなくなっているのだろうか。
しかし、遥が身を引くという事は遥が仕事を失うということだ。そもそも香がそんな気がなかったら、その気のある男2人に囲まれて嫌な思いをするかもしれない。かといって、お嬢様の執事よろしく、遥が香の盾になってやれる自信もなかった。
ましてや、香に選ばれなかったどちらかと付き合うなんてハイエナみたいだ。万が一、既に二人が付き合っていて、その後別れたとして、お嬢様の恋人や婚約者をあてがわれたくありません!
レンタルガーデン「霧の花」はようやく始動しようとしている。4人で試行錯誤して出したアイデア。その完成を見ないでこの山を去るのはなんとも寂しい。
レンタルガーデンは、ただ土地を貸すだけでなく、野人のガーデンをサンプルに見本を作っており、そのカタログからどんな種類のガーデンが作りたいか客にある程度の方向性を決めてもらうことになっている。
遥としては、デザインにこだわるより日本にある植物を集めた庭が作りたかった。いまだにそんな人もいると思っている。
遥が目指すのは日本の物語のある庭だ。しかし、昨今ホームセンターに売ってある花の苗というのは、大抵のところ世界中で好まれている園芸品種が主だ。日本らしさにこだわるのは難しく、季節に合わせて熱や寒さに強い植物を育てる方が初心者には簡単である。そして、今の日本の庭というのは、よほどのお屋敷でもない限り、ほとんど西洋風の庭になっているのだ。それを寂しいと思う人もいるかもしれないが、園芸が身近になったと考えることもできるんだよと野人に言われて、遥は借りている家の周りを日本の植物ばかりを植える事はやめにした。そうすると園芸をやる気持ちの負担も軽くなり、より一層庭の風景も楽しめるようになったのだ。
自分が子供の頃に見た隣の家の庭の風景とは違うけれど。
故郷はこうして消えていく。住んでいても変わっていく。昔の姿などない。
いろいろ考えるうちに、遥はようやく眠りに落ちて夢を見た。
遥はほうきで空を飛んで日本縦断をしていた。行く先々で公園キャンプ。途中知り合った人をほうきに乗せてあげるはずが雨が降ったので、連絡先を交換してとある公園で落ち合うことに。けれど、待ち人が現れる前に目が覚めた。
目が覚めると内容もほとんど覚えていなかった。支離滅裂な夢である。夢見がいいのか悪いのかもわからない。
しかしドキドキした興奮も、朝からお湯を沸かしてハーブティーを淹れるとすっと和らぎまた良い1日が始まった。
ナツメ茶を飲み始めて体にいい変化が現れました。身体にいい変化が現れてきた気がします。病気が劇的に治るとかそんなことはないですが、気持ち悪さが減りました。眠れるようになったのも大きいです。
ナツメは種が大きく皮が固く、加工して食べるのが難しい植物だと感じています。味は薬草として好きな方は多いでしょう。それほど癖はなく、お茶にすると甘みを感じます。しかし、煮出したお茶が琥珀色で美しい一方、果肉の色が悪いです。煮出したナツメの果肉をどうにか使えないかと思案する日々です。網で漉して混ぜてビスコッティにするのが、今のところ一番のおすすめ。
花言葉に添えて
棗:「健康」
吾亦紅:「変化」「愛慕」
今回は棗と吾亦紅をどう話にのせるか迷っているうちに、9月も終わりになってしまいました。この話は初回から続きを書くと決めていて、当初は1週間に1話書きたいと思っていました。しかし、人間の暮らしの中の植物のエピソードを見つけることが難しく、1か月に1本のペースになっています。
話に描きたい薬草を自分でもなるべく使ってみたりしてきましたが、吾亦紅はとうとう手に入りませんでした。
代わりに庭に千日紅を植えました。
今回、この二つの植物はあまり思い出深い植物として登場しません。棗は画期的に癒されて美味しい植物として登場させてもよかったのですが、もっと1年中暮らしの中にあっていい植物だと思い、話に華を添える程度を目指して書いてみました。
棗も吾亦紅も深紅の印象深い色をしています。そこにあることに気づかないような植物ではありません。悪目立ちさせないことにしました。