フルーツフレーバーティーを贈ります⑤
*フルーツ茶漬け【短編小説】
年を跨いで初雪が降った場合はなんと表現すべきだろうか。1月以降でなく、昨年の11月から雪が降っていなかった果実町は、年によってはそのまま1年間雪が降らない年もある。
山は白いけれど、山の下は霧しかない。
その霧も午後には晴れる。
遥が子どもだった二十数年前には、霧は午後2時頃まで晴れることはなかった。
山の道も午後になっても凍っていた。
しかし、悲しいことに温暖化の影響か、氷点下5℃を下回る日が少なくなった昨今、標高900メートルの『峠道の貸庭』では、午後には道の端に雪が少し溶け残ったまま、樹氷の見られる日も全くなく、道の閉鎖が解除されてしまう。
道の閉鎖が解除されると客が来る。
「今日はお休みです」と断れなかったのは、その理由が忘れ物した生徒手帳を取りに来るというものだったからだ。
「多分、この辺にくわえていってケリケリして遊んでたと思うんですよ。ほら、あった、あった。ありがとうございます」
砂を落として手帳を拾って薄く笑みを浮かべた少女は、楠菜乃花というガーデニングマニアの中学生だ。果実町で遥たちが貸庭を開業してから、ガーデニングに目覚めた。
シーズンオフも毎週土曜日に通ってきて、クリスマス前日にもやってきた。
その時に生徒手帳を落として、猫に生徒手帳を取られて、新学期が始まり明日制服検査があるという今日まで、生徒手帳の存在を忘れていたらしい。
猫が生徒手帳で遊んでも、慌てず騒がす、飽きるまで放って置こうとした事が彼女のおおらかな性格を如実に表している。
遥たちが一昨年に開業したレンタルガーデン『峠道の貸庭』では、昨年敷地内にレストラン『かえる亭』を開業した。
貸庭は飲料メーカーとして全国に名を馳せてている「山鳥」の創業者一族の所有地の一角で営んでいる。
東京ドーム何個分かは分からないが、何かしようとして場所に困ることはない広さだ。
新しい温室の建設計画がこの冬に進んでいる。
事務所も妖精の番人小屋と呼ばれるほど可愛いが、お茶を出すのに面倒がないので貸庭の休業日の客は何となく毎回レストラン『かえる亭』に案内していた。
レストランの周りには、常に花を絶やさず、今はキク科の花々、例えば寒菊、ノースポールなどが咲いていた。彩りを整えるのに、葉牡丹が隙間を埋めていた。
閉店の看板を裏返して、店内に灯りを灯すとカウンターのハーブの瓶たちに温もりが宿った。
「お茶の希望を言ってもいいでしょうか?」
「こら、図々しいでしょ」
「そうだよ、休みなのに」
「フルーツフレーバーティーにするから、そんなに手間かけないよ。ティーパックだし、手伝うから」
両親に諌められても、菜乃花はどこ吹く風だ。これまでガーデンを見学しに来ていた頃は、もっとかしこまった態度だった。内弁慶で家族と一緒だと表情が緩むタイプなのだろう。
「お茶くらい一人で出せるから大丈夫ですよ。それに、ちょうど店のスタッフが一人来たみたいです」
遥が言うと同時に店の玄関の扉が開いて、カランカランと鈴の音が店内に響いた。
「あ、お客様ですか?こんにちは」
現れたのはレストランの名前の由来となった厨房担当の井中蛙。通称、カエルくんだった。
貸庭がシーズンオフとなり、今日は休業日。
休業日には、昼前ぐらいにやってくるので、レストラン裏に車が停まる音でカエルが来た事が遥にわかったのだった。
「お茶淹れてるのか・・・。何か作りましょうか。お代いりませんから。昼食前ですし」
無愛想で表情の少ないガーデンの管理人の遥に比べ、カエルは人が来ると手料理を振る舞いたがる社交性に富んだ人物だった。
「いえ、大丈夫です!持ってきたので」
カエルの提案を元気に遮ったのは、菜乃花だった。
「ちょっと」
母親に袖を引かれても、それを振り払って構わずに菜乃花は椅子に座っても背負いっぱなしだったリュックを下ろして、いそいそとプラスチックの薄透明の保存容器を取り出した。他にも箸とお椀まで10セット、そのリュックに詰まっていた。
「カエルさんて、試食会をよくやるんですよね?今日は、私のフルーツフレーバーティーアレンジメニューを食べてもらいたくて用意したんです!ハルさんとカエルさんの分もお茶を淹れてくださいね」
「やめて、恥ずかしいから。メニュー、いただけますか。お代お支払いしますから、何か食べさせてください。そうだ。モーニングありますよね。モーニングで。サンドイッチの具材、お任せします」
「じゃ、俺もそれを」
母親が身を縮めながら再三諌めても、菜乃花はどこ吹く風だった。菜乃花は貸庭の動向を注視してよく情報収集しているので、かえる亭に案内されるのも織り込み済みだった。
出かける前に諦めさせることに失敗したので母はすぐ流れに身を任せることにした。
父親もすぐに便乗した。貸庭には散々来ていたが、実は一家三人、かえる亭に来たのは初めてだったのだ。
ここのモーニングにサンドイッチはないが、メニューを見る余裕もなく母は娘の振る舞いが恥ずかしくて慌てていた。サンドイッチを作る材料は店にあるので、カエルは余計な事を言わずに出来合いサンドイッチモーニングを自分たちの分も用意する事にした。
「ほら、梨と栗茶をこうしてお椀の中の漉し餡にかけて、あんこをお湯で溶くんです。ハルさんは、柚子茶、カエルさんは期間限定ストロベリー茶にしました。どうぞ、召し上がってくださいね!」
菜乃花はせっかくカップに人数分注いだお茶を躊躇いなく、お椀の中の餡子にかけた。
お椀の外にお茶が飛んでも気にしなかった。
カップを無造作に取り上げられ、代わりにお椀が二人の前のカウンターに置かれた。にこにこと少女にすすめられたら断るわけにはいかない。遥とカエルはお互い顔を見合わせて、お椀の中のあずき汁をすすった。
「甘いけどフルーツと紅茶が香ってさっぱりしますね」
「美味しい。甘党だから、俺は好きだな」
遥は言葉を選んだが、カエルは本心から気に入った。
「やった!カエルさんのお墨付き。ここのホームページ、今あまり動いてませんよね。このアレンジレシピ載せてくれませんか。よろしくお願いします」
「ちょっと本当に図々しいからやめなさい。ここのことは、ハルカちゃんたちが考えるんだから、あんたが余計なお世話をしなくていいのよ。あんたのInstagramかTikTokにでも載せて満足しときなさい」
「私のInstagramはフォロワー10人しかいないもん。TikTokはやりたくないって言ったでしょ。お母さんがInstagramのアカウント使わせてくれないから。すごいんですよ。お母さん、フォロワーが3千人いるんです」
「わかった!載せてあげるからやめなさい。もう、本当に恥ずかしい。ここに通うようになって、この子こうなんですよ、こう」
母が眉間の横に手を添えて突き出し、菜乃花の熱中振りを表現した。会話の多いお母さんと娘さんだった。
見た目は生真面目でおとなしげなので、思いがけない二人のおしゃべりに遥は面食らってしまった。
「いや、でも実際すごいですよ。フォロワー3千人なんて。うちのInstagramなんて、まだ数百人ですよ」
遥の代わりにカエルが返事をして、同意を求めるように、遥を見た。実際にInstagramを始め、写真アップロードサイトに次々挑戦しては撃沈している遥は身を縮めて頷いた。
「いや、そんな、、、猫と家庭菜園は閲覧数伸びやすいですから」
「うちも保護猫活動やってるんですよ。家庭菜園とガーデニングは専売特許のはずなんですが、さっぱりです」
SNSの担当を新しく貸庭のメンバーに加わった林九州道(くすみち)、通称ハチくんに任せる予定である。今は花盛りの時期ではないので、春からお願いすることになっている。
それまでに、フォロワーが離れてしまわないか。毎週閲覧数回くらいでやる意味があるのかが、今悩みの種なのだ。
「そうなんですか。実は私今週フォロワーが5000人達成したんです。YouTubeも今やっと1000人ぐらいで、もし良かったらアドバイスなんてしようかしら。ハルカちゃん」
「・・・ぜひお願いします」
自分の向いてなさを痛感しているから、遥に断る術はない。ハチに任せるにしても、一応、貸庭の運営係代表になっている遥も学んでおくべきだ。
「よかった。春のイベントが1つ埋まったね。そうだ、せっかくだから、ご飯を足してみようかな」
「もしかしてお汁粉にご飯を入れるって言ってます?」
菜乃花が訊ねると、蛙は愛想よく頷いた。
「僕は、餡子には餅よりご飯なんだよ」
「そうですか。邪道だけど…ちょっといいかも。フルーツティー茶漬けですね。素敵かもしれない」
カエルの意外な食の趣味に面食らった顔をしたものの、菜乃花はそれもまぁよかろうと言う納得顔で一人頷いた。
「果物を足してあんみつにするんじゃなかったの」
娘の頭の中を覗かなくても何を考えているかわかった母があきれたように言葉を足した。
「いや、フルーツ茶漬けの方が素敵じゃない。変わってて。お母さん、絶対インスタに載せてね。作ってる動画じゃないとだめだからね」
「わかった、わかりました。それよりあなたは来週入試なんだからね。こんなにのんびりしていっていいのかしら」
「いいでしょ。別に入試は逃げないんだから。本当は農高に行きたかったんですよ。でもハルカさんも同じ高校だってお母さんに説得されて。普通科なんですよね」
菜乃花に訊ねられて、遥は黙って頷いた。何も言わなかったのは、高校生活で特別何か不愉快な事があったからではない。ただ、時折思い出すほど思い入れもないのだ。
同窓会にも行ったことがない。この地域は、普通科の高校が一校だけで、私立の高校もない。後は農業高校と工業高校と商業高校しか選択にないのだ。だから、中学の勉強内容にそれほど躓きがなければ、遥の母校はことさら必死に勉強しなくても入学できる。
遥も入試なんてやったっけ?くらいな記憶なので、真面目そうな菜乃花が特段の気構えもなくゆったりしている気持ちがよく分かった。
しかし、カエルは移住組で果実町付近の入試の実態を知らないから、「余裕があるんですね」と素直に感心していた。
「別に余裕じゃないですけど。高校で勉強することを考えるよりも、今気になるのは、契約農家の話です。今年山鳥から新作のフルーツフレーバーティーが出るんでしょう。残念ながら、うちは柚子がやってなくて、紫蘇で応募しようとお母さんたちに頼んでるんです。もし契約できたら、私、紫蘇係になりますから。本当はゆずがよかったけど、木にとげが生えてた危ないって言われたし。この際紫蘇で。紫蘇を目いっぱい愛しますから!よろしくお願い申し上げます」
菜乃花は神頼みするように手を叩いて遥たちを拝んだ。契約農家について、遥たちに決定権はない。しかし、受験そっちのけで、紫蘇係になりたいと熱望する菜乃花の必死さがおかしくてカエルは思わず吹き出して笑ってしまった。すると、釣られるように菜乃花たち家族も笑った。
菜乃花は言いたいことを言って満足したようで、サンドイッチだけでなく、カエルにすすめられるままフルーツ茶漬けにお米と餅を入れてきれいに平らげた。しかし、食べた後は、「やっぱり白玉の方がいいかもしれない」なんてつぶやいた。
「年納めと年初めにはここのガーデンを見ておきませんと。忘れ物しといて良かったです!」
少し堅苦しい言葉を使う少女は、丁寧に挨拶をして店から出て行った。
果たして、楠一家は新作のフルーツフレーバーティーの契約農家になれるのか。
あるいは、菜乃花が考案したフルーツ茶漬けはソーシャルメディアでバズることができるのか。
それは神のみぞ知るだ。
*物語中のレシピは創作です。味の保障は致しかねます。