
我が家の庭の風景 part.95 「そっと」
日本語の難しさは字面にあるのではない。
感じ方や心の有り様にある。
要するに日本人は気難しいのである。
そっとしておくと言ったら放置することだろう。
そっと起こすと言ったら、いかにも優しいようだが、実は叩き起こすのと同義だ。
控えめなのは、表現の仕方だけであって、「そっとされる」のは優しくなくて、実はそっとされるのはありがたくもなんともない。
冬になって、そっと起こされて、そっと目を開けて起きるようになった。
冷たい朝の空気がそっと肌を撫で、或いはそっと猫が朝ごはんの催促をし出して、そっと起こされる。
霜が降りた零下の朝は、空はパッと明るくはならず、白く陽光が包まれて夏日のように鋭く窓から光が差し込むことはない。
白い空気が朝日を包んで夜がそっと明けるのだ。
しかし、冬の朝は夏より頭が重たく、身体は布団に張り付いている。布団にしがみついていたいのに、冷たい空気がまぶたを開かせるのだから、そのそっと明ける朝は全く優しくない。
猫も同様だ。
夏の眠りは短くて猫と一緒に起きていた。
冬になって、私は布団から出たくなくなり、猫は人間より早く起き出すようになった。
朝5時前から三毛猫がふいに私の足に触れてくるようになった。それは私に乗っかったままの時もあれば、布団の外で布団の上から足をそっと触ってくることもある。
もう1匹の猫と一緒に、私の上でゆっくりと寝心地を確認してみたり、大抵は寝心地も悪いので、布団の周りを行きつ戻りつして、私の足にちょいちょいと触れてくる。不意にそっと触れてくる猫の足の感触がうっとうしくて、私は度々怒鳴りたくなってしまう。
ましてや、5分おきに、そっとご飯の催促をそばでにゃーにゃーされてはたまったものではない。
結露した冷たい冬の窓に、そっと触れる猫の前足が、度々私の裸の足に触れる。私は大抵足元のかぶり布団を蹴り飛ばしている。
猫の催促と、冬の朝の空気に耐えかねて、冷たいフローリングの床をそっと歩いて、猫の朝ご飯の準備に行く。三毛猫はご飯を少し残して、少しずつ食べるので、やっぱり5分おきに、そっと起こされて、ご飯を何回もあげなければならない。
夏の強烈な日差しや食いしん坊の後輩猫がご飯が足りないとぎゅうぎゅうお腹を踏みつけてくるのよりも、冬の冷たいそっとした空気や何度もそっと起こされる方が優しくない。
そっとされることの寒々しい感じやぞっとする感じやぎょっとする感じや鬱陶しさをどう表現したものだろうか。
私は夏よりも冬が好きだ。陽炎立つ景色は怪しく、白い冬景色の方が奥ゆかしく美しい。いきなり馴れ馴れしくされるよりも、そっと距離を詰めてこられる方が人間らしい気遣いだと思うのだが、私自身は人を気遣うことが苦手なので、やっぱり気遣い上手な人と接するのはより難しいのである。
冬の冷たさと猫にそっと起こされるのは敵わないが、小春日和や猫にそっとされて放って置かれるのは嫌だ。気の合わない人と仲良くしたいように冬と猫に構われたい。
こんな風にそっと猫に隠れてnoteに愚痴を書く私のいやらしさ。
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