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東と西の薬草園⑧-3

次々と育てた花の鉢を人にあげてしまう人がいた。最初はありがたく受け取っていた人も「次のやつが置けなくなるから」「もういらないから」と彼女の花が増えてくるに従って、なんだかお下がりで庭を作っているような複雑な気持ちになっていた。

なんとなくいつかトラブルになりそうな予感があったそうだ。

「もらえないわ。私ももう手一杯なのよ」

「まだ空いてるスペースがあるじゃない。水やるだけでいいのよ。花の季節は短いんだから」

「そうかもしれないけど。私にも計画がありますから。ここには別の花をおきたいのよ。ごめんなさいね」

「もういいわよ。もったいないわ。このまま捨てるしかないなんて」

彼女は憤然と言って、鉢を持ち帰ったかに見えたが、彼女の借りている貸庭にも二度とその花は見つからず、断った方は自分のせいで花の命が絶たれてしまったと嫌な気分がした。

そんな話を聞いていた2週間後に、その彼女が新しくできた方のロッジと更地の一画を借りたいと言い出した。まだ全部予約で埋まっていたわけではなかったから、遥はふんふんと頷きながら最初は話を淡々と聞いていた。

「それではお引っ越しされると言うことですよね。いつ頃がご希望ですか?」

「うん。違うわよ。片方は花の待機場所にして、片方は植栽を楽しみたいの。同じところじゃ代わり映えもしないし、気分転換も兼ねてね。花もいっぱいになって来ちゃったから。せっかく子育てても花をもらってくれる人もいないんだもの」

「切り花でお売りすることもできますよ。どなたかにプレゼントすることも。なかなか難しいですが、鉢植えで育てた花を販売されたいと言うことでしたら検討します」

「売れなかったら嫌じゃないの、そんなこと。しかも、花が開いちゃった後なんてね。やっぱり売る時には少し花は蕾んでなきゃ。ここは葉っぱに虫もくるしね」

50がらみのこれまで自宅では、ベランダでガーデニングを楽しんできたガーデニングに手慣れた女性だ。自分なりのこだわりを持っている。遥よりも、ガーデニングにはよほど詳しい事はわかっている。けれども、遥は彼女の言葉に引っかかりを覚えた。

「ロッジと庭を2つお貸しできるかどうか、こちらで検討させていただきます。いろんな人に庭を楽しんでいただきたいので」

「そうなの。商売気がないのね。すぐ借りるのに」

彼女は不満そうにしながらも、その場では特にこねることもなく、あっさりと借り家に戻っていった。

「繋がってる場所じゃなくて、離れた場所、2つ使われるのはどうかなぁ。お一人で二つロッジを借りる意味もよくわからないし。しばらく様子見て、新しい敷地を借りる人が出ない場所があってそれでも彼女がまた借りたいと言ってきたらでいいんじゃないか?」

峠道の貸庭がオープンしてまだ1年もたたない。運営はまだ手探り状態だった。今のところ、途中でレンタルを破棄したいと言う人がいなかったが、いつ何時ブームが去って庭の借り手がほとんどいなくなるかもわからない。とりあえず今はいろんな人に借りてもらって宣伝し、要望を吸い上げてより良い場所を作り上げたいというのがスタッフの総意だった。

しかし、誠意を持って説明したつもりでも、行き違いから誤解が生まれることもある。

「あんたたちは、山ん中に集落ば作ろうとしようっていうのはほんとね?山ん中の不便な場所よ。借家ならよかばってん、山の中に定住させて、責任が取るっとね?災害の時は危なかろうもん」

果実町の副町長の杉村が、焼酎の手土産を持って視察に来たと思ったら、唐突にそんなことを言われ、対応した遥たちは混乱した。
遥たちは、暗に酒だけもらって、帰るように促したのに、杉村が半ば、強引に始めた酒宴だった。その日は、みんな台風明けの草取りで疲れており、とにかく早くお開きにしてしまいたかった。

「集落とか、まだそんな規模ではないですけどね。そんな大きな夢はまだまだ見られません」

反論したい気持ちを押し留めて、遥はかろうじてそんなふうに言った。峠道の貸庭のある山は、一帯は杉山ばかりだが、山鳥の別荘の周辺は、紅葉樹に覆われ専門家の話では、地盤はしっかりしていた。富居家が別荘にしている建物が明治に建築されたもので、以来、災害で傷ついたこともない。戦前は今よりもっと人が多く住んでいたためか、大きな道路も通っていた。町の中心から離れているので、不便と言えば不便だが、そもそも、この町全体が車社会なので、車がなければどこも不便だ。ちょっと距離が遠くなるぐらいは問題ではない。

「まだッつうなら、先にはここが果実町から独立するくらい大きな町になるんでしょうなぁ。若い人たちのやる事は豪気よね。年寄りは寂しい限りたい」

杉村の言い分に、その場のだれもが腑に落ちず、曖昧に笑った。地方の過疎化は今や全国的な問題だ。フルーツフレーバーティーのブームによって、少しだけ果実町が潤って移住者が増えたといっても、子供の生まれる数はそんなに簡単に増えないし、また育った子供たちは多くが町を出ていく。生まれ落ちた場所だからと言って、一生いたいと思えるほど気の合う町になるかは別だ。ただこの街に生まれたというだけの人たちをいたずらに田舎に縛り付けるよりも、希望者を募って、町に移住する人を増えるようにする事は果実町の方針に反していないはずだった。そもそも今の町長が張り切って移住政策を進めていた。そのための予算も国から多額に配分されていた。

貸庭事業で移住者が増えるかは、まだ未知数ではあったが、移住者が増えることの何が気に入らないのか、その場の誰もその時は理解できなかったのだ。

しかし、その謎も、遥が実家の母に電話してことの顛末を話したところ、あっさり真意がわかった。どうやら、果実町の行政は遥たちが町の方針に従わず、勝手な移住政策をやっていると憤っているようだった。

「人の増えることの何が悪いわけ?富居家の親戚100人連れてきて、この町に移り住んだら、追い出しにかかるのかしら?」

遥のの説明の仕方が悪かったのかもしれない。母に聞いた通りに、どうやら町役場が貸庭事業をよく思っていないようだと話したら、香は常になく憤っていた。

「なんだろう。この町の風土に合う人じゃないと、住んじゃいけないってことなのかな?庭いじりを楽しむ私みたいなおばさんはお呼びじゃないかしら。やっぱり移住政策って言ったら、若い人に来てもらいたいんでしょうね。町としては働き手が必要だもの」

みどりが寂しげに麦わら帽子越しに太陽を仰いだ。なんとなくみんなで集まって話し合っているうちに、草むしりをすることになった。立夏を過ぎてから日の入りは遅くなり、夜の7時過ぎまで、手元が見えるほど明るく、夕方庭作業がやりやすくなった。天気の良い日に庭に出て、激しい雨の日はロッジにこもっている。降るような虫の声の一方、ハーブ畑にはには、作業に慣れた面々が、手を止めるほどの虫は少なかった。

「若いからはが働けるって限らないですよね。それに移住にはお金がかかるじゃないですか。若者だけじゃ限界ですよ。老後の資金が潤沢な人は、それだけ若い頃に頑張ったってことじゃないですか。それでやっとゆったりとした田舎暮らしでも、楽しもうというところに、歳だからって難癖つけられたらたまったもんじゃないですよね。言われなくても出て行きたくなりそうだ」

果実町で生まれ育って、よそ者を警戒する田舎の人間の気持ちがよほどわかるはずの霞もみどりを励ます以上にまるで町に裏切られたかのように怒りの表情をにじませていた。いや、外で作業していたから、その熱と夕日で顔が赤く見えただけだったかもしれない。

「まぁ最初から誰にとっても理想の土地を作るなんて難しい話ですよ。あるいはうまくいっているから嫉ましいのかもしれないし、話の発端が彼女ならうまくいかなくて、裏切られたような気持ちで出て行っちゃったのかもしれないし」

湧水が言うとみんなちょっと考えて黙り込んでしまった。彼女と言うのは、貸庭の土地を2つ借りようとした女性である。その1週間後に、「疲れたからもう来ません」と突如去っていった。遥にとっては、初めての返金案件で、胸の痛む出来事だった。

彼女が去っていく時まで、ずっと精力的だった。花に対しては飽きっぽく見える面はあったものの、それは彼女の理想の庭を作ろうとする試行錯誤の結果でもあった。
数ヶ月以上も借りていたのに、彼女の庭には、家族の誰も来たことがなかった。息子2人は年子で社会人1年目と2年目。夫が定年前に昇進し、地方と都市とを行ったり来たり。老いた両親は世界一周旅行に出ていて、みんな忙しく、ベランダで彼女が育てる花に誰も興味を持ってくれはしなかった。花の世話があるから、長くは外出できないという彼女の気持ちを理解してもくれなかった。それぞれの誕生日に、テーブルに1輪花を飾っても、臭いからどかしてくれと言われていた。
「育てた花を自由に飾りたいの。食卓にいつも花を置いておきたい」
彼女は貸庭の申し込みをする時、そんな風に理想を語っていた。多少強引なところもあったが、社交的な人だった。いや、そう見えたのも、彼女が田舎の風土に無理に合わせようとしていたからなのだろうか。

「庭を借り換えようと思ったんだけど、断られちゃって。なんだかその時にわかっちゃったのよね。私客として合わないと思われているかなって。合わない人間が無理に努力を続けておいてもらっているよりも、次々、新しい人を入れて、風土に合う人を見つけたいでしょうしね。妙に長居してお邪魔しちゃったわ。家族の理解もないし、移住できるわけでもないのに」

果実町で懇意になった人に彼女は、そんなことを語って去って行ったのだ。遥達は、別に完全に移住を目指している人を率先して受け入れようという志があるわけではなかった。むしろ都会に拠点があって、庭が手に入らない人でいろんな場所を観光するということに飽きたか、それが合わない人に新しい趣味を提案したかったのだ。
その意味で、彼女は峠道の貸庭のコンセプトにとてもよく合っていた客だった。しかし、彼女が新しいコミュニティーを望んでいて、その形が自分の中にあるものと違っていたなら、彼女はもう果実町には戻ってこないだろう。

最近果実町には公立を中高一貫校にすることが計画されていた。自由研究的な勉強方法を推進し、子供たちに自分たちが住む町のことをよく知ってもらおうとしている。その研究材料として新しくできたデンタルガーデン「峠道の貸庭」はうってつけだと思う人が大人に多いようだが、遥たちの考えはちょっと違っていた。大人の社交場なのだ。貸庭は。よほどガーデニングに興味津々の子供以外、遊園地のアトラクションみたいに、飽きずに楽しめるとは思えなかった。
しかし、その考えも間違っていただろうか。子供には合わない。張り切りすぎる人には合わない。客を選んでばかりでなく、気の合う人だけでなくいろんな人にガーデニングを楽しむ方法がないだろうか。
夜になり明かりがポツポツと灯るロッジの群れを見ながら、遥は考えた。
自分たちの本来の居場所に戻った人たちが、自分たちが所有する遠い庭のためにできることを考えてみた。答えは出なかった。

コインランドリーができて、レストランもオープン間近。真夏のイベント中止も客に理解されたつもりで、遥はこの峠道の貸庭の理想の形が最近見えてきたような気がしていた。
しかし、その自信はまた揺らいだ。いや、自信を持てたことがないのだ。理想は次々と形をなさないままに変わっていく。

今がこれまでの人生の中で1番うまくいっているような気がする。自分に合った暮らしをしている気がする。けれど、時に空回りして辞めたくなる。
この山に故郷に自分は必要だろうか?
いま、遙の存在意義とは。
ライフワークにしようと思っているティーハーブの育成に熱心になれない。ダメな自分が情けない。
一方でハーブ同様に頑丈で、びくともしないように見える山にもお手入れが要る。山を放置すれば、災害の元だ。山を利用したいなら、山に住む人が必要だ。世の中には孤独に定住する人が必要だ。旅人だけでは成り立たない。
山ごもりも1つの人生なのだ。山人がいつか旅に出ることもあるかもしれないが、一生山の中で終えることもあるだろう。山人はたった1人でよいだろうか。山の中に集落ができても不思議ではない。安全な山というのも将来的には作れるのかもしれない。
今も場合によっては、川下の方が災害がひどいこともある。しかし、今すぐに山に集落を作る事は、時代の要請ではないだろう。反発は当然ある。
山の中はどうあっても便利な場所ではないからだ。便利なほどに開拓するわけにもいかないからだ。遥は孤独にならざるを得ない。果たして、遥は山の管理人を続けられるのだろうか。

実家のお隣よりも近い場所に人の気配がする。生き物の息遣いが聞こえる。けれども、遥は夜が来るたびに深い孤独に落ち込んだ。夜の帳が下りるのは不快ではなかったが、やはり何となく不安だった。

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猫様とごはん
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