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「窓辺の猫」第18回 靨の浮くCHEMISTRY

実は、私は片えくぼだ。
左頬の靨は浅く、はっきりした靨は自分から見て右頬にしかない。
私の両親すら私の靨を認識していない。靨というのは口を横に引っ張らないと出ないので、そういう笑い方をして見せないと人に披露することができない。私の父は両頬に深く靨ができる。しかし、その父のこれ以上ない深い靨すら口を多少は横に引っ張らないと靨にならない。
靨は微笑ではできない。
満面の笑みを浮かべる人だけが見せられるチャームポイントだ。
ただ、靨を持っているだけで全く人に披露する機会がないのであれば、チャームポイントにならない。
猫のほっぺたに1本だけ目立ってあるヒゲの凹みみたいに、確かに特徴的なのに、人に認識されない顔形でしかない。

猫は飼い主と感性が似るらしい。
YouTubeで子どもの頃以来、二人組ユニット「CHEMISTRY」の歌を聴いた。
すると、猫も勝手に人間の布団に陣取って聞き入っていた。
うとうと微睡みはしなかった。地蔵のように動かないままなんだか心地よさそうな心が弾んでいるみたいに見えた。
CHEMISTRYが猫が気にいる曲を歌ったら、猫以上に人間に喜ばれるのではないだろうか。

同じくYouTubeで英語のシャドーウィングの動画を見ていたら、

"私は大学時代のことを覚えていない"
"I don't remember my college days."

という例文が出てきたことがある。それを見た時、この文章を作った人は、私と同じなのだと思った。私は大学生活ではないが、高校生活についてほとんど覚えていない。何せ卒業して数年の20歳を過ぎたばかりの頃、高校の同級生に会ってもほぼ名前がわからなかった。学校の先生の名前も気にかけてくださった社会の先生1人しか覚えていない。その先生と以外、他人と交流したエピソードがほとんど思い出せない。それなりに交流していた覚えはあるのだが、自分の賞罰すら思い出せない。

それでも街中やテレビで聴いた音楽は耳に残っているものだ。私は、浪人中CHEMISTRYの曲をよく聞いていた。高校のとき、どんな音楽を聴いていたのか、もちろん覚えていないが、浪人するときに寮にそのCDを持っていったという事は、やっぱりCHEMISTRYをよく聞いていたのではないか。

その時は、歌詞を見ないで歌えたのだろうか。覚えていないが、曲を聞くとなんとはなし、懐かしさとかその時覚えた感動を思い出した。
私は恐怖する事と同様に感動することも好きではないので、不意に胸が揺さぶられて動画を消してしまいたくなったが、猫が耳をすませて聞いているのに気づいて消すのをやめた。

私はあの頃、どんなことを考えて生きていただろうか。CHEMISTRYの何というタイトルの曲を聴いていたのだろう?歌詞も覚えられず、ただ曲をリピートしていただけなのか。やっぱり今のように何も考えずに生きていたのだろう。

私は、ある友人をなくしてから、20代のうち数年以上一人暮らしの部屋の壁に「Mr.Children」のとある一曲の歌詞を下手な字で書き写して貼っていた。その曲ばかり聴いていた気がする。なんでその曲が気にいったか理由もわからない。そして、やっぱりタイトルが思い出せない。猫に聞かせたら、その曲も気にいってくれるだろうか。
しかし、私自身は、猫に聞かせてやれる昔話を持っていない。不意にいなくなった友人を思い出すときに、その曲を聴いていた。その時の悲しみが蘇ってくるだけなのだ。

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猫様とごはん
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